2024.02.25
[三浦海岸 2024年2月]
誰が言ったのかわかりませんが,年が明けたと思ったら二月ももうあとわずか。今年は閏年なので1日だけ長いこの二月ですが,やっぱりあっという間に年度末,三月弥生を迎えることになりそうです。
もっとも,時過ぎる迅さを嘆くのはこの月に限りません。「一月往ぬる,二月逃げる,三月去る」などの語呂合わせもあるように,忙しくて時間がないと嘆いている人はきっと,一年中忙しい忙しいと宣い続ける羽目になることでしょう。実際のところは,筆者自身のように,物事の優先順位を把握したうえで,効率的かつ集中的に仕事を進めるのが苦手というだけなのかもしれません。
筆者はすでに前期高齢者の仲間入りをして何年も経つ身ですが,休みの前日に何やかやの書類を自宅に持ち帰る習慣がまだ抜けません。明けて休日の朝,「残業代も出ないのに,いったい自分はいくつになるまでこんな生活続けるんだろう」と愚痴をこぼしながら,机の上の書類を整理し始めます。先週二十日(火曜日は筆者の休日なのです),そんな調子で朝食後すぐに1時間ほどPCに向かいましたが,ふと窓の外に目を向けると,何日かぶりの青空です。窓を全開にして招じ入れた空気は,昨日までの冷気とは打って変わって,まったりと暖かい。
そうだ,こんな日は墓参りに行こう!と思い立ち,書類をほうり出して自宅から100キロほど離れた郷里の公園墓地に車で向かいました。スポーツでもなく,散歩でもなく,映画でもなく,どうして「墓参り」なのか。たいした理由があるわけではありませんが,父が亡くなったのが2月であること,3月彼岸の時期は道路も墓園もひどく混みあうこと,そして何より墓園のある故郷の早春の息吹を感じられそうな日和であったことが,書類から筆者を解放してくれたのです。
ドライバーと同様に少々くたびれてきた愛車を駆って圏央道から東名へと向かいます。平日だというのに高速は結構な混雑ぶりで,厚木インターから途中下車して下回りの道路を使いましたが,こちらも(当然ながら)混みあっていて,郷里の公園墓地に着いたのは昼過ぎになっていました。墓園に入れば人影少なく,早春の明るい光を浴びて,冷たく硬い石の墓標たちも心なしかほっと気を緩めているようでした。すでに盛りを過ぎて舞い落ちた梅の花弁がそこここの墓石を化粧しており,墓石の方はくすぐったく感じているのでしょうか,どこかから咳払いの声が聞こえるようです。
屋外の水道の水はきりきりと冷たい。それを満杯にした桶を両の手に提げて両親の墓まで運び,持参したタワシで斑縞の御影石(ビアンコカララ)を磨き,周辺を掃除します。昨年墓参したときのまま枯れ果てた供花や雑草を取り除いて新しい花をフラワーポットに活け直し,合掌。線香をあげ,もう一度手を合わせながら,また今度ね,と小声で呟いて墓参終了。
郷里の実家は遥か以前に取り壊し,近郊に住み続けているのは高校時代の友人数名くらいですから,帰郷するのは年に1,2回の墓参りの時だけです。二十歳前にこの地を去り,現在の居住地にはその倍以上の年月を暮らしているにもかかわらず,郷愁が胸を去ることはありません。三方海に囲まれ,でこぼこの低山をいくつも抱える半島のその中心部に位置する故郷の街は,そこにいるときには格別の愛着を感じなかったのに,離れてみると,ふとした折に,潮風のにおい,温暖な季節の巡りや海沿いに早々と咲く春の花たちの記憶がよみがえります。
墓参が終わり,まだ陽が高いので,以前友人から聞いたことのある三浦海岸の河津桜を見に行くことにしました。半島の道路網も,知らぬ間にあちこちにバイパスが開通しており,広々とした三浦の台地に整列するキャベツやダイコン畑のあいだを快走して,墓園から20分ほどで目的地に着きました。近づくと「桜祭り」の立看が続き,それらが愛車を誘導した先には,近隣農家が空き畑に臨時設営した駐車場がありました。平日だというのに満車に近く,行列をなして桜並木の下を歩く観光客には,たくさんの外国人の姿が混じっていて,ちょっとびっくりです。
京急三浦海岸駅から5分ほど歩いたところから始まる線路沿いの桜並木は,どの樹も満開で,1㎞以上は続いていたでしょうか。経路途上に灌漑用水確保のために穿たれた「小松ケ池」があり,その堰堤は格好のお弁当スポットとなっていました。桜はいずれも二,三十年は経ていると思われる太さと枝ぶりのがっしりとした壮年樹でした。桜並木の足元にはあちこちに菜の花が咲いていて,やっぱり埼玉よりだいぶ温暖なのだと実感しました。帰ってから観光用の ホームページ 三浦海岸桜祭り を覗いてみると,平成11年頃から河津桜の植栽を始め,「桜祭り」と銘打ったのは平成15年のことだということです。
混雑のピークを避けてそそくさと帰路に就き,往路よりも早く,空が茜色に染まる前には自宅にたどり着きました。一息ついて自室に戻ってみれば・・・書類たちは朝方ほうり出した姿のまま,机の上で存在感を一層増しているようでした。