2024.11.23
[2024年11月 清瀬市 中清戸]
筆者がA君から話を聴いたとき、A君がその無口なY青年に出会ってすでに二年ほどが経っていました。初診時、Yさんは、ある会社の産業医の署名の入ったあて先未記入の紹介状を持参し、そこには次のように書かれていたということです。
診断:対人恐怖症 …… しかし訴えの内容には自我漏洩的なもの*)を含み、関係念慮も強く分裂病**)の初期である可能性もあると思われます。人間関係がうまくいかないということで月一回ほど面接、投薬してきましたが、この度唐突に転職を決め、転居することになりましたので、よろしくご高診お願いします……
*) 「話しもしてないのに自分の考えが、ほかの人に知られているような気がする」などといった訴え
**) 現在は「統合失調症」と呼称変更されている、代表的な精神疾患(精神病)
Yさんを初診したB医師は、何回か診察した後で、相互的な対話は十分可能だし、はっきりした精神病症状も見られないので、統合失調症とはどうも考えにくいと思いました。一方、まだわずかしか語られていませんでしたが、彼の生い立ちにはさまざまの困難が窺われたため、心理士のA君に併行面接を依頼したというわけです。当時その病院では、心理士との面接は2~4週に一回30分程度という枠組みで行われていました。
Y青年は予約日、毎回正確に時間を守って病院を訪れ、数分間ぼそぼそと近況を語り、「人をあてにしてはいけないのですね」と、なかばあいづちを求め、なかば自分にいい聞かせるような台詞を残して、面接室を去っていくのでした。
初期の面接ですでに聴取されていた生活史はかなりたいへんなものでした。しかし、抑制的で感情表出の乏しいYさんの語り口から、A君は「正直のところ、初めて会ったときからしばらくする頃には、ぼくは彼がそれほど深刻な体験の持ち主であったことを忘れてしまうほどだった」と打ち明けました。
最初に訪れてから一年半ほどしたある日、Yさんはいつものような小声でひとしきり語り終えたあと、予定の時間が過ぎた後もなかなか席を立とうとしませんでした。うなだれたまま身じろぎもしないYさんと、A君はしばらく向き合っていましたが、とうとうしびれを切らして「何があったのか教えてもらえませんか」と促しました。するとYさんはいきなり大粒の涙をはらはらとこぼして、嗚咽し、A君は呆気にとられてしまいました。予定外の長時間面接になることを覚悟してA君はYさんに正面から向き直り、その涙の理由をあれこれと思い巡らせながら、『もしかすると本当に精神病体験が潜んでいるのかもしれない』とも疑いました。それほどYさんの慟哭は唐突だったのです。
ずいぶん長い時間のようでしたが、実際には5分か10分くらいのものだったかもしれなかったと、とっぷりと暮れてしまった空に視線を漂わせながらA君は続けました。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を汚れた上着の袖でごしごしぬぐいながら、 Yさんは「申しわけなかった」と詫び、「ありがとうございました」とつぶやいて席を立ちました。そして「ちょっと待ってください、いったい全体どうしたというのですか」と再度訊くA君に振り向いて、今度ははっきりと、「人前でこんなに泣いたのははじめてです。今度来たとき話します。たぶん話せると思います。すみませんでした」と頭を下げ、豆鉄砲をくらった鳩のごとく唖然としたままのA君を残してYさんは診察室をあとにしました。
その日の面接がすべて終わったあと、A君はYさんのカルテを最初から読み直しました。Yさんの両親は、彼が小学校3年生、妹が6歳のときに離婚していました。引き取り手のなかった二人は、その後別々の養護施設に入所し、Yさんは中学卒業後、ある工場に勤務しました。しかし集団の輪に入ることがどうしてもできず、次第に孤立感が深まり、2~3年ほどの周期で転職を重ね、A君のところへきたときには、5つ目の転職直後だったということでした。
A君との最初の面接でYさんは、「他人と自分は根本的に違う、自分は変なやつだという意識がいつもある。他人と視線が合うと、自分が相手を意識していることを見透かされてしまう。相手から目をそらしたくても視線が固定してしまう。そんなことしたくないのに、結果的にガンつけてしまうことになる。それがいつからはじまったのかわからない。生まれたときからそうだったような気もする」などと述べていました。
不遇な少年時代について尋ねるA君に、Yさんは「親のことは考えない。考えても何も変わらないし、しかたなかったと思うしかないからです」と答えたといいます。また、「6歳のとき離ればなれになった妹から、数年前に結婚の知らせを受け取って再会したが、妹は『自分は絶対に幸せな家庭をつくるから、お兄ちゃんもがんばって』と言っていた。妹はすごいと思う」とも述べました。
そして「今度は泣いた理由を話しにくる」といっていたYさんが次に訪れたのは、半年近く経った、その晩秋の日だったのです。