ふじみクリニック

大樹とにんじん

2021.09.17

 武蔵野台地の東北端に位置するこの町では、たくさんの畑が四季を通して滋味深い野菜を生み出しています。畑だけでなく、住宅街や畑の途切れたあたりに鬱蒼とした平地林が、あるいは真新しい住宅に囲まれてポツンと狭くても、季節によって鮮やかに色を変えるちょっと謎めいた林があちこちに残されています。

 清瀬駅南口を降りて「ふれあい通り」商店街を直進し、突き当りを右折して小金井街道を横切ると、すぐに都立清瀬高校。その裏手に「松山保存林(松山緑地保全地域)」があります。駅からゆっくり歩いても十数分の行程です。背の高いアカマツの群落が、清瀬高校の校庭からつながって林の北側を守っています。
林の中を歩いてひときわ目を惹くのが、この大きなヒマラヤスギ(Cedrus deodara)です。

 この樹は「杉」と命名されていますが、ヒマラヤ山脈の標高1,500mから3,200mの地域を生まれ故郷とするマツ科の常緑針葉樹です。

 永く生きた大きな樹木には不思議な力があります。
広く深く張って、地球の芯とつながっているような太い根、何が来ても倒れっこないと思わせる堂々とした樹幹と、空を摑まえ「ようとするかのように縦横無尽に伸びる枝。黄昏時に見上げると、曲がりくねった枝が千手観音の腕のように見えることもあります。

 大きな樹のそばにいるときに味わうことができる安心感は、そこに何百年も、ときには世紀を越えて同じ場所に在り続けてきた時の重みを実感させてくれるからでしょうか。
樹木に宿る精霊を木霊(こだま、木魂、谺)といいます。千年も生き続ける巨樹が在ることは、そのあいだその地が酷薄な天候や極度の災害に遭わずにいたことの証でもありますから、自然信仰の対象になるということは怪しむには足りません。山谷(やまたに)で発せられた音(声)が反射して繰り返し聞こえる現象を山彦と呼びますが、これを「こだま」とも呼ぶのは、精霊のしわざであるとの信憑がゆき渡っていたからです。
けれども、松山のヒマラヤスギは、何の教訓を垂れることもなくひっそりと立ちつくしています。武蔵野台地特有の多種類の広葉樹や地を覆う熊笹たちと共にいて、どちらがこの場所の主だと言い張る様子もありません。

 柵で仕切られた大樹の周りをゆっくりと何周か巡り、苔むした樹皮にそっと触れて目を閉じてみました。木の精がもたらす芳香が身を包み、晴れた日には幹を上下する樹液の波動が微かに伝わってきます。

 この巨きなヒマラヤスギの木陰に一体どのくらいの人が佇んだことでしょう。背の高い樹冠を眩しく見上げた人は一体何を思ったことでしょう。曲がりくねった沢山の枝葉からこぼれ落ちる雨滴や雪や陽の光を、通り過ぎる人々はどんな眼差しで受け止めたことでしょう。

 帰りがけに出会ったこちらは小人のような一年草。
 トウモロコシが収穫された後、しばらく休んでいた畑に葉を広げ始めた人参たちです。
 千年も生きる大樹と、小さな種から毎秋に生まれ、半年で豊かに根を膨らませ、そして枯れてゆくにんじんは、どちらも陽の光と雨の降り注ぐまま流れるように生きています。
 彼らのようにあるがままに生きてゆくことがやさしいとは言えない私たち人間ですから、少しばかり木や草がうらやましい気もします。