ふじみクリニック

シャーロック・ホームズとフロイト
(3)精神医学者から見たホームズとフロイトのコカイン使用

2025.9.30

・・・と、今回のコラムはここでおしまいではありません。
もう少しだけお付き合いください。

デイビッド・ムスト(David Musto)という米国NIH(日本の厚労省みたいな機関)所属の精神科医の以下の論文が、ニコラス・メイヤーがパスティーシュ小説を執筆した動機の一つになっていたのではないかということをお知らせしておきたいと思います。

古い書物の発見と再読に触発されて覗き見した,日本のあるシャーロッキアンのホームページにこの論文が紹介されていたので、元の職場の図書館を再訪して探してみたら、所蔵雑誌が存在したのです。冒頭のパラグラフのみ翻訳して紹介しておきます。


David F Musto
A Study in Cocaine:Sherlock Holmes and Sigmund Freud
JAMA 204(1): 27-32,1968

コカインは、二人の輝ける捜査官の初期の経歴を刺激した。それはジーグムント・フロイトとシャーロック・ホームズである。実際、二人がともにコカの葉の多幸的効果に引きつけられたのは偶然以上のものがあると言えるだろう。しかし、フロイトとホームズの関係がどのようなものであったとしても、二人の人生におけるコカイン使用エピソードは、文学や科学に及ぼす新しい(向)精神薬の影響を反映したものである。彼らを称賛する人々のうちには、このような薬物との関係は恥ずべきものにしか過ぎないと考えることから、二人の(コカインに嗜癖したという)人生上の一局面を否定したり見過ごしたりする者もいるかもしれない。しかし、コカイン使用が認められていた期間に先行して、また使用禁止となった後にも引き続き世界中でコカインを熱望する人(嗜癖者)が絶えないので、どんな公正な人物でも二人を厳しく断罪するだけというわけにはいかないだろう。
コカイン使用エピソードは、客観的な評価というものが個人の熱狂によっていかに容易に隠蔽されるか、また(有害性に関する)多数の証拠があるにもかかわらず、未だに広く使われている薬物を正しく判断することがどれくらい困難なことかということを示している。おそらく、限界(コカインの有害性)を認識することが遅れたのは、医師が自らコカインを使用した体験の鮮烈さに由来する。またおそらく、人々がコカインを体験したときの主観的感覚(rapturous subjectivity)が強烈だったため、体験者は、他人に一度はそれを試してみた方がよいと強く主張するばかりでなく、それに反対する人に対してどうして反対するのだと強く反論するようなことがあったのだろう。
(翻訳終わり)


A4版6ページ足らずの短いJAMA論文は、コカインが発見され流通するようになり、その向精神効果と有害性がどのように認識され、規制されてきたかを簡潔に記述しています。コナン・ドイルがホームズシリーズを記述していた初期の頃には、コカインに対する法的規制はなく、自己発揚のための有用な薬物として常用していた知的階層市民は少なくなかったと述べられています。また、後にコカインが違法化されると、ホームズ信奉者は、その名声を傷つけるコカイン摂取エピソードを無視したり、あえて触れなかったりと、意図しないままネガティブな(と信奉者が考える)側面に蓋をして偶像化する傾向がみられたとも指摘しています。

最終的に、フロイトは1887年以降コカインの好ましい面について記述することはなくなり、シャーロック・ホームズも1894年にロンドンに帰朝してからは、コカイン使用によるトラブルは収束したというのが、事の成り行きです。

フロイトは1939年の夏、友人である医師のマックス・シュールに依頼してモルヒネによる安楽死を選択しています。深層心理学/精神分析学の創始者が、薬物によって自己の心身を鼓舞し、その終焉をも薬物という外部に委ねたことには、様々な意味が連想されるところでもあります。

(おわり)