ふじみクリニック

冬の光

2026.02.02

「一月往ぬる二月逃げる三月去る」とはいいますが、31日分しっかりあるはずの1月なのにこんなに早く過ぎ去ってしまうのは困ったものです。毎朝決まった時間に同じ通勤路を走っていると、一年で一番寒いこの時季、わずかずつでも夜明けが早くなり、日没も遅くなってきたかということが実感できます。

年明けの1月、当地は晴れて乾いた日が続きました。晴れて雲もない夜が明けると、前日の晴天の具合に反比例したような寒さが訪れます。陽が昇って、紺碧の空に太陽が煌々と輝く時間が来ると、夜明け前に天から降りて辺りを真っ白にした霜氷や、かじかんだ草や木に残った枝葉からゆらゆらと陽炎が立つことさえあります。

真冬の太陽の光は鋭く、眩しい。それはLEDの街路灯のようにその直下を明るく照らしますが、かつての白熱電球のように、少し曖昧だけれどほわほわと周辺を包み込むような暖かさを与えてはくれません。冬の太陽は正午になっても空の真上に来ることはなく、北側に傾いた光が、斜めから鋭く窓ガラスを射ぬいて部屋の奥まで明るみに晒します。

冬の日といえば、肺を病み早逝した梶井基次郎の掌編(「冬の日」、1927〈梶井26歳〉)を思い出します。

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-冬陽は郵便受のなかへまで射しこむ。路上のどんな小さな石粒も一つ一つ影を持っていて、見ていると、それがみな埃及(エジプト)のピラミッドのような巨大(コロッサール)な悲しみを浮かべている。-低地を距てた洋館には、その時刻、並んだ蒼桐の幽霊のような影が写っていた。向日性を持った、もやしのように蒼白い堯の触手は、不知不識その灰色した木造家屋の方へ伸びて行って、そこに滲み込んだ不思議な影の痕を撫でるのであった。彼は毎日それが消えてしまうまでの時間を空虚な心で窓を展いていた。

-日の光に満ちた空気は地上をわずかも距っていなかった。彼の満たされない願望は、ときに高い屋根の上へのぼり、空へ手を伸ばしている男を想像した。男の指の先はその空気に触れている。-また彼は水素を充した石鹸玉が、蒼ざめた人と街とを昇天させながら、その空気のなかへパッと七彩に浮かび上がる瞬間を想像した。
青く澄み透った空では浮雲が次から次へ美しく燃えていった。みたされない堯(たかし)の心の燠(おき)にも、やがてその火は燃えうつった。
「こんなに美しいときが、なぜこんなに短いのだろう」
彼はそんなときほどはかない気のするときはなかった。燃えた雲はまたつぎつぎに死灰になりはじめた。彼の足はもう進まなかった。

[初出:「青空」,青空社,1927(昭和2)年2月号,4月号][青空文庫:冬の日
(フリガナは筆者)

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作中の語り手(尭;たかし)は、著者と同様、自由を奪われた肺結核の養生中の身です。梶井(尭)は、冬の光を「冷たい火」のように描きます。夏の陽のような抱擁力はなく、ただ網膜を焼き、神経を逆なでするような「透明で鋭利な眩しさ」として。彼は、その眩しさの中に、自分の死を予感しつつ、そこから目を離すことができない。日向(ひかり)が強ければ強いほど、それを浴びた自身の影 ― 死も色濃く、はっきりと地面に映し出される。そのコントラストは、語り手と同化した読み手に一種残酷な心象を与え、この作品の眩しさの核を形成しています。梶井の実人生と照合しつつ本作を読むと、「澄んだ冬の光はその光と影の中に冷酷な現実をすべて映し出し、どうしようもなく眩しく冷たい。けれどその光と影 ― 現実から自分は断固として逃げ出したくはない」という、諦念あるいは自棄的精神と同居する消し去り難い生への執着が、光の描写を通して伝わってくるようです。

もう一作、川端康成の「雪国」。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」という冒頭の文章はあまりにも有名ですが、この作品では、梶井の筆写する冬陽の鋭さではなく、「雪国」の、しかも夕暮れであるにもかかわらず、薄い陽射しが真っ白な雪面からの反射光と相まって、車窓に映る映像に仄かな暖かさを宿すような記述が心に響きます。

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-鏡の底には夕景色が流れていて、つまり写るものと映す鏡とが、映画の二重写しのように動くのだった。登場人物と背景とはなんのかかわりもないのだった。しかも人物は透明のはかなさで、風景は夕闇のおぼろな流れで、その二つが融け合いながらこの世ならぬ象徴の世界を描いていた。殊に娘の顔のただなかに野山のともし火がともった時には、島村はなんともいえぬ美しさに胸が顫えたほどだった。

[初出:文藝春秋、改造ほか(1935年1月~1947年10月)]

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川端の物語は、複数の雑誌に各章が断続的に書き継がれていったものです。このいわば連作小説を、1937年になって一本にまとめて公刊した作品が「雪国」です。この公刊後もさらに死の直前まで川端は繰り返し加除改稿を続けたことが知られていますが、1935年1月に冒頭の章(引用文)が文藝春秋誌に発表されたとき、その標題は「夕景色の鏡」というものでした。

冬の陽の光は暖かくも怜悧さを秘めています。部屋の奥 ―こころの底― まで暴きだすような性質と、氷を融かし春を予感させる優しさをひとつ身に備えています。

しばらくはまだ寒さの続く日々です。こんな季節に、こころ覚えにしておきたい詩の一文を最後にお示ししておきましょう。

冬来たりなば 春遠からじ

この句は,イギリスの詩人シェリーの『西風の賦 (西風に寄せる歌) Ode to the west wind』の末句「If winter comes, can spring be far behind」に由来しています。シェリーは社会変革をめざした詩人であり,詩を発表した1819年の8月にマンチェスターのピータールーで発生した,政府による市民の虐殺事件に想いを馳せ,イタリアで書いた作品とされています。その最後の節は新約聖書の黙示録を想起させ,革命家たちを励起させようとの思いがほとばしっているようです。

もっとも、この原文を上掲の歯切れの良い漢文調に翻訳したのが誰かははっきりしていません。イギリスにはほかに「夜明け前が一番暗い(The darkest hour is just before the dawn.)」という俚諺があります。日本にも、これを翻訳したものか偶然の同じ発想からか、「夜まさに明けなんとして益々暗し」という言い回しがあります。

もう春はそこまで。