ふじみクリニック

2025年―精神科医療の(10大?)ニュース

2026.01.01

12月の内に何とかコラム原稿を書かなければと思いましたが、やっぱり年の瀬です。この年のうちに済ませておきたいあれこれが重なり、とうとう大晦日になってしまいました。日が暮れて、人並みに食べたり飲んだりしているうちに、するすると夜は更けて、おやまあ、近くのお寺から除夜の鐘が聞こえてきました。聖なる釣鐘の響きに、煩悩が払われるどころか、この年のよしなしごとが心に浮かんでは消えていきます。

騒がしい心を鎮め、ひとつ、また一つ、この鐘の音にのせて世界に届けと思うことがあります。筆者は信仰を持たないので、何に祈ったらよいのかわからないけれど、それでも祈りたいのです。樹に、水に、大地に、空に、そしてこの宇宙に祈りたい。
― 今年こそ、あなたに何か一つでもよいことが起こりますように。
― 戦禍の炎の中で生きざるを得ない人々が、一人でも多く安全を得られる世界になりますように。

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さて、筆者の独断で、2025年の精神科医療界のトピックスをいくつか挙げてみましょう。

1 JRグループによる精神障害者割引制度の導入と社会的障壁の撤廃

2025年4月1日、日本の社会福祉と公共インフラの歴史において画期的というべき出来事となったのが、JRグループ各社および大手私鉄による精神障害者割引制度の本格導入です。これまで身体障害者や知的障害者には提供されていた旅客運賃の割引が、精神障害者には適用されないという長年の「制度的差別」が解消されたのです。遅きに失したという感も免れませんが 、何はともあれ精神障害者の偏見解消の一助となることを願います。
この制度導入により、金銭的問題のみならず、次のような波及効果が期待されています。

(1)制度の適正運用と社会参加の促進
本制度は、精神障害者保健福祉手帳(1級〜3級)を所持する当事者本人に対し、特定の条件(100km超の利用など)で運賃を5割減免するというものです。また、重度の精神障害(1級)を所持する者の介護者についても割引が適用されます。各自治体は、この制度開始に向けて窓口での周知を徹底し、利用者が社会の一員として自由に移動できる権利の保障を強化することになっています。
(2)偏見の払拭とスティグマの軽減
精神科医療に従事する者は、この制度導入が経済的支援以上の意味を持つと考えています。公共交通機関の窓口で精神障害者手帳を提示し、割引を受けることが日常的な風景の一つとなることは、社会における精神障害の「不可視化」を防ぎ、偏見を軽減する契機となる可能性があります。しかしその反対に、どうして障害者ばかり優遇するのだという反感を抱く人も必ず出ることでしょう。2025年を、精神障害者が地域で生活するための「移動の支援」が、身体・知的障害者と同等に認められた象徴的な年とするためには、私たちは、社会全体の理解を深め、多様な人々が共存していくことの意義をさらに啓発してゆかなければなりません。

2 坂口志文教授のノーベル生理学・医学賞受賞と免疫精神医学のパラダイムシフト

2025年10月、大阪大学免疫学フロンティア研究センターの坂口志文特任教授がノーベル生理学・医学賞を受賞しました。これは日本の医学界、医療界にとって名誉であるだけでなく、精神医学の未来に新たな方向性を提示したものでもあります。坂口教授の業績である「制御性T細胞(Treg)」の発見と、それによる自己免疫反応の抑制メカニズムの解明によって、精神疾患の病態解明をめざす「免疫精神医学(Immuno-psychiatry)」という学際的領域に、確かな科学的基盤の一つを提供したからです。

(1)「制御性T細胞」と「脳内炎症」
制御性T細胞は、免疫システムが自己組織を攻撃するのを防ぐブレーキの役割を果たします。近年のトランスレーショナル・リサーチ(注)は,この細胞の働きが十分でないと、がんや自己免疫疾患のみならず、脳内の微小炎症を介して統合失調症や大うつ病性障害の発症や悪化が助長される可能性を示唆しています。坂口教授の受賞は、「がんは治せる時代になる」という希望を強めると同時に、従来はドパミンやセロトニンといった神経伝達物質の不均衡にのみ焦点を当てていた生物学的精神医学に対し、全身性の免疫恒常性という新たな視点を導入したのです。

(注)トランスレーショナル・リサーチ(TR)とは、基礎研究で得られた新しい医療上の発見/萌芽的方法を、実際の医療現場で使える新たな医療技術や医薬品として実用化するための「橋渡し研究」 を指します。この研究は、非臨床段階から臨床開発まで幅広い範囲をカバーします。

(2)精神医療への波及効果と基礎研究の再評価
同時に、この受賞を契機に、日本国内でも基礎医学研究への投資と若手研究者への支援拡充を求める声が急速に高まりました。精神医学分野においても、Tregを標的とした細胞療法や免疫調節薬の臨床応用が現実味を帯びており、既存の向精神薬で効果不十分であった難治症例に対する「第3の選択肢」としての期待が寄せられています。また、臨床医の間では、精神症状を「全身性の炎症反応の一表現型」として捉え直す考え方も生じつつあります。
参考に、最近(21世紀)にノーベル生理学・医学賞を受賞した日本人を一覧しておきましょう。

表1 ノーベル生理学・医学賞を受賞した日本人(21世紀以降)

ノーベル生理学・医学賞受賞者
(21世紀以降)
受賞年 主な受賞理由
山中伸弥 教授 2012 iPS細胞の樹立による細胞初期化の発見
大村智 博士 2015 抗寄生虫薬エバーメクチンの開発
大隅良典 教授 2016 オートファジーのメカニズム解明
本庶佑 教授 2018 免疫チェックポイント阻害によるがん治療法の発見
坂口志文 教授 2025 制御性T細胞の発見と免疫恒常性の解明

3 精神病床5.3万床の削減と地域移行をめぐる医療法改正

日本2025年12月、厚生労働委員会で医療法改正案が審議されました。この審議の場で、精神科医療が抱える大きな構造的課題である「過剰な病床数」と「社会的入院」に終止符を打つ根拠となる法律案が提示されました。日本が保有する精神病床(精神科一般病床+精神科療養病床)は、世界のそれの約2割を占めるという「異常な状況」にあり、その是正は国際連合の障害者権利委員会からも強く勧告されていた事項です。「日本特有の文化的・経済的事情」があるにせよ、これは精神障害者の社会からの隔離―「見えないものにする」―に他ならないということを、遅まきながら(外圧によって)追認した流れとも言えるでしょう。

(1)病床削減の具体的数値と時限的枠組み
審議された改正案では、2027年3月31日までの時限的な措置として、全国で計11万床の病床削減を目指す枠組みが示されており、そのうち約5万3千床が精神病床の削減目標となっています。この削減は、単なる医療費抑制の手段ではなく、入院中心の医療から「地域生活を基盤とした医療」へのパラダイム転換を加速させるためのものです(と信じたいものです)。しかし、国会答弁では、削減される病床はまず「空きベッドの整理」に留まり、実際に長期入院患者の退院を促進する「地域移行の推進」に結びついていない現状が指摘されています。

(2)ベルギー・モデルの導入検討と人員再配置の課題
審議において注目を集めたのは、ベルギーで実施されている「病床削減に伴う財政補填モデル」です。ベルギーでは、病院が自主的に病床を削減した際、その減収分を国が一定期間補填し、さらに余剰となった病院スタッフを地域の訪問看護やアウトリーチチームへと再配置する仕組みが確立されています。日本においても、精神科病床の削減を単なる経営的損失とするのではなく、人員を「身体拘束の最小化」や「地域支援」へと効果的にシフトさせるための財政支援が不可欠であるとの議論がなされています。
この計画の実現には、何より保健・福祉と統合させた在宅医療の充実化(人員、予算/補助金、提供医療の基準等)が不可欠です。筆者の実経験からすると、これはまだ遠い将来の夢のようにも感じられてしまいます。

4 AIの普及と精神科医療現場への導入拡大

これは医療界のみならず、経済界、教育界、芸術界その他あらゆるジャンルに及んだ大きな潮流と言えそうです。読者諸賢のお察しの通り、本稿も、調べものの部分ではずいぶんと生成AIにお手伝いしてもらっているところです。

(1)精神科医療におけるAI変革の世界的潮流と市場動向
世界のヘルスケア分野における人工知能(AI)市場は、2024年の266億米ドルから2030年には1,877億米ドルへと急拡大することが予測されています。この爆発的な成長の背景には、約80%の医療組織がすでに何らかのAIアプリケーションを活用し始めているという広範な普及実態があります。精神科医療においても、2025年末から2026年にかけて、診断、治療、モニタリングの各段階でAIが不可欠な構成要素となる「拡張知能(Augmented Intelligence)」の時代が到来しているのです。
2026年までに、米国食品医薬品局(FDA)や国際的な規制当局によって承認されるAI診断ツールは数十件に達する見通しであり、その中には脳CT/MRI画像から脳卒中を検知するアルゴリズムや、心電図から不整脈を分析するソフトウェアが含まれています。精神科特有の領域においては、画像診断のみならず、言語や行動のパターンを解析する自然言語処理(NLP)や機械学習(ML)の統合が、臨床現場の質的向上と医師の燃え尽き症候群(バーン・アウト)軽減の両立を目指して進められているところです。

(2)精神科AIの主要な臨床領域と進化のメカニズム
精神科医療におけるAIの応用は、主に「診断の数値化、精密化」、「治療支援の拡張」、「継続的モニタリング」の3つの領域で展開されています。

表2 AIが導入されている医療領域

応用領域 技術的メカニズム 具体的な活用例
診 断 ML, DL, NLPによるマルチモーダルデータ統合 テキスト、音声、神経画像、ゲノム情報の解析による正確なマーカー特定
治療支援 生成AI、適応型デジタルセラピーシステム AIチャットボットによるCBT提供、治療計画のパーソナライズ
モニタリング デジタル・フェノタイピング ウェアラブルやスマホからの「デジタルの足跡」によるリアルタイムリスク検知

これらの技術は、従来の基本的には「医師の経験/主観に基づく面談」に依存していた精神医学の診断プロセスに、客観的なデータに基づいた視点ないし評価を導入するものです。とくに進化の著しい自然言語処理は、患者のSNS投稿や臨床ノート、治療面接の書き起こしデータを分析し、抑うつ、不安、あるいは精神病の早期兆候を検出するための「早期警告システム」として機能し始めています。

悩み事を相応に的確な日本語として無料版AIに質問した際に、意外なほど「人間的な」回答が得られると教えてくれた患者さんも散見されるようになりました。同じAIと何度も話す―関係をもつ―ことによって、発言内容だけでなく、表情、声の抑揚、態度や身振りなどの縦断的評価を総合して回答する、より洗練された「AI主治医」みたいなソフトウェアも遠からず現れることでしょう。筆者たち人間の医師はAIと張り合うのではなく、相互補完的にはたらくことができるとよいように思います。人生上の課題や苦悩には、唯一の「正解」があるわけではないし、私たちの役割は「回答する」ことだけでもないからです。

5 朝が近くなってきました:まとめです

 「十大」どころか、4項目しか書いていないのに、夜明けが近づいてきました。ほんのりと山裾が白み始め、空にはやや多めの雲が漂っています。本年も初日の出と朝焼けを拝むことができそうです。

今回のコラムのために調べた2025年の大きなニュース―すべて採りあげられてはいませんが―を俯瞰すると、そこには「生物学的精神医学の深化」と「社会的包摂の拡大」という、一見相反するように見える二つの巨大なうねりが、看て取れるようです。

第一の潮流は、「生物学的精神医学の精密化、実用化」です。坂口教授の免疫学研究、アルツハイマー病の血液診断、米国におけるエスケタミンの単剤承認、そして家庭用脳刺激デバイスの登場(公的な医療方法としては未承認)などは、精神科医療を「心という不確かな/不可視な領域」から「脳という臓器の機能制御」へと加速度的にシフトさせているように見えます。精神病圏の疾患(統合失調症や双極性障害など)に見いだされた客観的な指標(バイオマーカー)に基づき、迅速かつピンポイントに治療的あるいは顕在化予防的介入を行う手法が実用化され始めたことにより、精神科診療は他科と遜色のない科学的精密さを手に入れつつある―とまでは言えないにしても。付記しておかなければなりませんが、精神科医療全体をみれば、「脳の医療」だけでは不十分であることは自明です。とくに非精神病圏(神経症やストレス反応)の患者さんに対しては、引き続き個別的、全人的理解を基礎にした心理・社会的介入が不可欠です。

第二の潮流は、「人権と包摂の制度化」です。JRの割引制度導入や、大規模精神病床の削減計画、WHOの政治宣言などは、精神障害を持つ人々を社会から隔離し保護する対象としてではなく、地域の中で共に生活し、同じ権利を享受する「権利の主体」として再定義しようとの意義を持っています。とくに日本における精神科病床削減をめぐる議論は、単なる削減ではなく、ベルギー・モデルのような人員と予算の「コミュニティへの移転」という本質的な議論へと踏み込んだ点が重要です。

しかし、これらのポジティブな変化の裏側には、医師の働き方改革による供給体制の脆弱化や、サイケデリック療法が直面した規制上のジレンマ、依然として続く医薬品の供給不安といった「理念を実現化する道程における困難と痛み」も顕在化しています。2025年は、革新的な診断・治療方法が次々と生まれる一方で、それを支える医療現場のリソース(医療機関のマン・パワーや経営基盤)が限界に達し、デジタル化や多職種連携といった「システムの効率化」が、もはや選択肢ではなく必須の生存戦略となった年でした。

結論として、2025年の医療界、とりわけ精神科医療は、科学的根拠と人権思想が両輪となって動く、新たなパラダイムへと突入したといってもよいかもしれません。この数年間に蒔かれた種が、精神疾患を持つ人々が「偏見なく、最先端の治療を、住み慣れた地域で受ける」ことができる社会が実現されるための豊かな森に育ちあがることを願うばかりです。