2021.11.09
「心身症」というと、いわゆる「こころの病気」の一つだと理解されていることが多いようです。しかし心身症とはほんらい、胃潰瘍や蕁麻疹のように、検査(例えば内視鏡検査)や客観的所見により明らかな身体変化が認められ、その発症や回復過程に心理的要因が深く関係すると推定されたときに付けられる総称的診断名です。すべての病気を大きく「身体疾患」と「精神疾患」に分けるなら、心身症とは「身体疾患」に区分される病態なのです。
したがって患者さんは、まず内科など身体診療科を受診するのがふつうです。通常の治療を続けてもなかなか治らず、どうも家庭や職場でなにか大変な状況に置かれているなどの背景が窺われた際には、心療内科や精神科への受診を勧められることが多いようです。
日本心身医学会では、心身症を次のように定義しています。
「身体疾患の中で、その発症や経過に心理社会的因子が密接に関与し、器質的ないし機能的障害が認められる病態をいう。ただし神経症やうつ病など、他の精神障害に伴う身体症状は除外する」
心理社会的因子とは、以前本欄に記述した様々な種類のストレスが該当します。人にはそれぞれ個別の遺伝環境や出生後の生活環境が与えられ、それらによって一人ひとり心身の特徴が異なります。他の人よりも強靭な部分とその逆に弱い部分をあわせ持っているのが私たち人間です。過大なストレス状況にさらされると、その弱い部分(病気になりやすい素因)が破綻して現れるのが心身症というわけです。
患者さんにも、また一部の医療者にも多い誤解は、心身症とうつ病などの精神疾患に伴う身体症状を同じように考えてしまうことです。睡眠障害、体重減少や肥満を伴う食行動異常、頭痛・腰痛や全身倦怠感などは精神疾患でもよく見られる身体症状です。解剖学的・生理学的にはどこにも異常がないのに歩行困難になったり、言葉が喋れなくなったりする「転換性障害」や、脳の異常がないのに自分の名前や過去の記憶が失われてしまう「解離性障害」なども、症状が身体に現れる精神疾患です。
これらの病気はほんらい精神科が担当するべきものですが、真の心身症については、それぞれ身体各科の治療が継続される必要があります。
ただ、精神疾患と心身症の間にはいくらか見分けが難しい病態があるのも事実です。上述した心身症の定義に含まれる「機能的障害」という部分です。筋緊張性頭痛、顎関節症、また最近になって疾患概念が確立されてきた機能性ディスペプシア(胃の痛みや胃もたれなどの症状が続いているにもかかわらず、内視鏡検査などを行っても異常がみつからない病気)などが該当します。
心身医学という言葉は、19世紀初めの頃、ドイツ人精神科医ハインロートの睡眠障害についての論文に初めて登場しました。20世紀に入るとフロイトら精神分析家の研究や啓蒙活動により、現在の心身医学の基礎的理論が築かれました。その後の歴史の中で精神分析学、行動心理学に引き続き、脳科学や免疫学が急速に発展し、心身相関のメカニズムが次々と解明され、心身医学は大きな発展を遂げてきました。つまり心身医学とは、初めは精神科医がその重要性に気づき、切り開いてきた医学領域なのです。
心身相関や心身症の概念は、人間を全体として見る(診る/看る)ことの重要性を知らしめましたが、その一方で、現代の病院の診療科は細かな専門科(消化器内科/循環器内科/腎臓内科/糖尿病・代謝内科等々)に分割されています。ときには同じ病院内でも異なる診療科に属する医師同士が、お互い別会社に勤めているような関係にあることも珍しくありません。
このように、身体診療科はますます精密に臓器別に細分化されてきていますが、人のこころに生じた問題は、これまでも、そして多分これからも、分解して考えたり対応したりすることはできないでしょう。いらいらしやすい人のための「感情科」とか、認知症や精神遅滞の人のための「知能科」とか、学校や職場のストレスに悩む人のための「人間関係科」とか、考えてみてもちょっと滑稽な気がします。
見たり聞いたりしたことから、感じて、考えて、他者との関わりを通じて考え直し、感じ方も変わってゆくという連続的なプロセスや総合性を抜きにして、その人のこころを理解し、関わってゆくことはできません。そういう意味で、精神科医はこころとからだの双方を見つめざるを得ない立場にいるわけです。
もちろん、バイオフィードバック治療のような心身症に特化した治療を、精神科や心療内科を標榜するすべての診療所で実施できるわけではありませんし、内視鏡検査や心臓の検査設備を備えているわけでもありません。特定の身体疾患を診断され、しかもその病が心身症の側面を持っていると指摘された場合には、ご自身の判断であれ、身体科主治医の勧めに従った形であれ、身体科の治療を継続しながら、こころの問題を探ってみるために精神科の門を叩いてみる意味は大きいと思います。