2025.9.30
2025.9.28 日高市
五年ほど前に、長くお世話になった大学を辞めました。ウン十年の教員生活のうちに、研究室には数千冊の私物蔵書がため込まれていたので、退職に先だち、自宅をリフォームして書棚の空きスペースを増やしておきました。ためこんでいた大量の本を持ち帰り、数か月かけて整理しましたが、段ボール箱を開ける度に、研究室の書棚の奥の方に隠れていた未読既読の書物がふたたび陽の目を浴びることになりました。冷遇されていた未読書物を一冊ずつ手に取って、「まえがき」と「あとがき」だけ、ざっと目を通してみます。ふむふむ、なかなか面白いではないか。やはり身銭を切って買っただけのことはある、と我が判断に頷ける書物が半分くらい。あとの半分は、標題や書評に惹かれて買ったけれど、要らなかったかなと思いつつ、再び真新しい書棚の奥の方に押し込むことになったわけです。
そんなふうに昔の本を漁っていたら、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズの新潮文庫版がぞろぞろ出てきました。まずはホームズシリーズの処女作品「緋色の研究」を拾い上げます。一度でも読んだ方なら、その印象はいくらかでも記憶に残っているかもしれませんね。片付けの途中ですから、最初はぱらぱらと立ち読み、あれ、面白いじゃないかと寝転びながらページを進め、そのうち椅子に座って熟読する羽目になりました。ホームズを最初に読んだのは、小学生の終わり頃か中学生に入った頃でしょうか。基本的に探偵譚ですから、その「謎解き」部分が面白くて、図書館にあった5、6冊を短期間で読破した記憶があります。はるか時を経て再読すると、謎解き部分よりも、ホームズの緻密な観察眼や思考プロセスに今さらながら感嘆の念を禁じ得ませんでした。
アブダクション* と称される仮説形成と検証方法の普遍性、人物描写の彫の深さにも気づかされることになりました。「探偵もの」ではあるけれど、その人間描写-とりわけ犯罪者の側の、その罪を犯すに至った必然性を掘り下げて描く筆致に惹き込まれていったのです。
* アブダクション(Abduction)とは、関連する証拠を(それがでっちあげではなく、真であることを前提として)最もよく説明する仮説を選択する推論法のこと。観察された事実の集合から出発し、それらの事実について、よりもっともらしく、論理的に最もつじつまの合う説明を直観的/発見的に推論する方法。アブダクションという言葉が、たんに観察結果や結論を説明する仮説を見つけることを意味することもありますが、哲学やコンピュータ研究においては、前者の定義がより一般的です。心理学や計算機科学などではヒューリスティクス(heuristic:発見的〈手法〉)とも呼ばれています。
ところでホームズは、シャーロッキアン(「ホームズ熱烈推し」の世界中のファンたち)なら誰でも知っているように、コカインや麻薬使用者(あるいは乱用者)です。実際、第二作「四つの署名」は、コカインを皮下注射するシーンから物語は始まっています。新潮文庫版から少し引用してみましょう。
シャーロック・ホームズはマントルピースの隅から例の瓶をとりおろし、モロッコ革のきゃしゃなケースから皮下注射器を取りだした。そして神経質な白くてながい指先で、ほそい注射針をととのえて、左手のワイシャツの袖をまくりあげ、いちめんに無数の注射針のあとのある逞しい前腕から手首のあたりをじっと見ていたが、やがて鋭い針をぐっと打ちこみ、小さなピストンを押しさげて、ほうっと満足そうな溜息をもらしながら、ビロードばりの肘掛椅子にふかくよりかかった。
(1890年 コナン・ドイル著「4つの署名」,1953年 延原謙 訳;1991年 延原展 改訳/新潮文庫)
ホームズの終生よき相棒であったワトスン医師は、コカイン常用の有害性を厳しく説きつけますが、ホームズは以下のように答えます。
(ホームズ)「もっともだ。しかしこいつは、からだにはよくないかもしれないが、精神をひきたてて、すっきりさせること受け合いだよ。だから副作用なんか意とするに足りないね」
(ワトスン)「しかしだ、結果を考えてみたまえ。精神はなるほど昂揚し、ひきたちもするだろうが、元来が人工的な、病的な方法なんだから、組織変化の増進をきたして、結局はからだを弱くするばかりだ。悪い反動のくるのもわかっているのだし、こんな割のわるいことはないよ。なんだって君は一時の気まぐれから、せっかく持って生れた大きな才能をすりへらすような事をするんだろう? これはただ友人としてではなく、医者としての僕が多少の責任を持たなければならない君の健康を思っていうのだから、そのつもりでまじめに聞いてくれなければ困るよ」
(ホームズ)「どうもこのごろは気持ちが沈滞していけないよ。何か問題はないかな。おもしろい仕事はないものかな。不可解な難問か暗号でも持ってきて、本来の僕の気分にしてくれないものかな。そうすれば注射なんかしやしない。こうだらだらした日常はだいきらいさ。意気上がらざること久しい。僕がこうした職業にはいる-というよりも創始したのもそれがためなんだよ。なにしろ僕は世界でたった一人この職業にしたがっている人間なんだからね」
(同書)
ホームズシリーズの他の作品にもコカイン使用について触れているところがありますが、ホームズが常時の依存症者に陥ったかどうかははっきりしません。ワトスンの説教(心理教育)が奏功したか否かはともかく、事件を解決するプロセスで得ていただろう内因性の(有害性のない)ドパミンやエンドルフィンへの嗜癖に甘んじることができたのは幸いです。当時の英国(1890年頃)ではコカイン等の麻薬は禁売されていませんでしたが、ワトスンのような医師が、すでにその有害性を十分認識していたにもかかわらず、法の規制がなされなかったのはどうも腑に落ちません。また、自身医師である作者のコナン・ドイルは、ホームズの薬物使用癖を記述することが読者に与える影響をどのように予想していたのでしょうか。
ワトスンが忠告したくだりを重視すれば、「危険薬物はダメ、絶対に!」ということになります。しかしその後のホームズシリーズの好評を考えれば、当時の薬物乱用者たちに「天才ホームズだって使ってた、しかし身を持ち崩すようなことはなかった」と薬物使用の言い訳を提供する素材になる可能性も否定できないわけですから。
さて、深層心理学/精神分析学の創始者であるジーグムント・フロイトにもコカインを自分にも患者にも処方して、医師仲間から悪評サクサクだった時期があることが知られています(後に有害性に気づいて止めました)。
フロイトは、1884年から約2年間、コカインを「奇跡の薬」として熱心に研究・推奨していました。彼はコカインを気分高揚や疲労回復、モルヒネ中毒の治療薬などとして自身も使用し、論文でその効能を主張したことがあるのです。
この研究の過程で、知人の眼科医(カール・コラー)と協力して、コカインが局所麻酔薬として有効であることを見出し、眼科手術での使用に成功したとされています(コカイン局所麻酔効果の発見と実用化はカール・コラーの功績として公表されたようです)。しかし、1886年頃になると、コカインの常習性や中毒性が世界的に広く認識されるようになり、フロイト自身も友人がコカイン中毒になるのを目の当たりにしたことで、コカイン推奨を取りやめました。この一連の経緯により、フロイトは一時的に医学界から不審の目で見られるようになったということです。
フロイト自身が深刻なコカイン中毒になったという明確な記録はありませんが、彼が一時期コカインを常用し、その危険性への認識が広がるまでは、積極的に推奨していたことは確かなようです。