ふじみクリニック

コロナと日常(1)

2022.02.05

2月に入ってからも、寒くて乾燥した日が続いています。少しずつ日が延びて、仕事帰りの清瀬駅橋上から見渡す町並みには夕焼けが残るようになりました。年明けて今度はオミクロンなる妖怪がはびこってきたせいで、人通りはあまり多くありません。それとも東京とはいえ杜と畑が残るいなかだから,ふだんでもこんな程度だったのでしょうか。

「コロナ時代」に入って2年が経ち、生活の様々の局面でふだん(コロナ前)はどうだったのだろうかとすぐには想い起せないことが増えてきました。屋外でも人と接する可能性のある場面では必ずマスクをつけ、知人に会っても一歩離れて挨拶を交わし、耳元に口を近づけてひそひそ話なんてとんでもない御法度と知り、スーパーのレジや食べ物屋さんのカウンターにアクリル板やビニールカーテンが設置されている様子もごく当たり前の風景になっています。コロナが無事収束したとしても、店の入り口に置かれたアルコール消毒液やレストランのアクリル板を物置に片づけてしまえる日は、ほんとうに来るのでしょうか。

初老期の元気な男性は、「オレも高齢者に入る歳だけど、こんな世の中なら、さっさとかかって自然免疫つけてしまった方が、順番待って何回もワクチン打つなんてより手っ取り早いかも、なんて考えちゃいますよ。まあそれでも居酒屋がやってなければ飲みにも行けないけどね。」と言いました。別の高齢女性は、「保険証の裏に、『コロナで入院しても人工呼吸器は使わないで、若い人に回してください』と書き込んでおきました。」と語りました。ある女子高校生は、オンライン授業は友達と話せないし、レポートが増えるのがいや」と言い、人づきあいが苦手な男子中学生は、「みんな一日中マスクをつけているから、顔が半分隠せて人前で緊張しなくて済む。自室から出なくてもいいのも気が楽」と言いました。

今をどのように体験し、どんなふうに解釈するかは人によって様々ですが、旅行、スポーツ、コンサートへの参加や友人との交流などが不自由きわまる現状に飽き飽きしながら、これがいつ終わるかわからないという諦めのような感覚を抱いている人は多いのではないでしょうか。昨年秋が深まる時季に、やっと終わったかと安堵の息をついた期間は3か月と続きませんでした。そういえば政治家や自治体の首長が、いつの頃からか「新しい日常」とか、「ウイズコロナ」とかいうキャッチフレーズを使うようになっています。まるで、「みなさん、あきらめて」と言われているような気がして、なんだかなあとため息が漏れてしまします。いったん収束したかに見えても、「次」がいつ来るかわからない ― 私たちはそんなふうに身構えるようになっています。そういう「用心」というか「準備」というものは、たしかに必要なものかもしれません。