2022.06.07
[2022.5.30 狭山市智光山公園]
五月の連休が終わり、晴れれば夏の空です。同時に青田に響く蛙吹(あすい)や雨の中でひときわ鮮やかなアジサイの花色など、梅雨の便りがあちこちに姿を見せています。
ある日の昼すぎ、激しい驟雨が急ぎ足で街を横切り、30分もしないうちに雲が切れて強い陽の光が射してきました。舗装されていない道路のあちこちにできた水たまりをよけながら近くの公園に行ってみると、濡れそぼった樹々の葉や草たちは、ゆらゆらと陽炎を立ち昇らせながら、身にまとった水滴をきらめかせています。
雨が上がったばかりなのに、男女の幼子が太い木の幹を指さしながら何か言い争っています。少し離れたところから耳をそばだてていると、どうやら兄妹らしい。
妹 | あ、あれ、うごいてるよ。 |
兄 | なに言ってんだ。あたりまえだろ、カタツムリじゃないか。 |
妹 | へー、カタツムリ。おっきいね。 |
兄 | おっきいな。でもおれ、もっと大きいの見たことあるぞ。 |
妹 | お兄ちゃん、あれ、取ってよ。 |
兄 | ばか、あんなの取れるかよ、届かないよ。 |
妹 | (あたりを見回して、1メートルくらいの木の枝を拾ってきて)おにいちゃん!これで、これで取れるよ。 |
兄 | ばっかだなあ。だいいち取ってどうすんだよ。 |
妹 | 取ったら・・・かごに入れて飼うの。ほら、去年の夏つかまえたセミみたいに。 |
兄 | おまえなあ、カタツムリって、よく見てみろよ、触ったらべちゃべちゃして気持ち悪いんだぞ。 |
妹 | うそ! あんなにきれいじゃない。 |
兄 | どこがきれいだよ。触ったらかみつかれるぞ。 |
妹 | さわったら噛むの? 歯があるの? |
兄 | そんなの知らないよ。でも、ほら、あんなにぬるぬるしてるじゃないか。 |
妹 | う~ん。でもやっぱりきれいだよ。お兄ちゃん、取って、取ってよ。こわいの? |
兄 | なに言ってやがんだ、こわいわけないだろ。 |
お兄さんは、しかたなく妹から木の枝を受け取り、少し高いところから悠然と幹を下ってくるカタツムリを待ち構えます。 |
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妹 | (兄の横で固唾をのんで木の枝の先をじっと見つめています。) ほら、もう届くよ! |
兄 | うるさいなあ、まあ待ってろよ。 |
カタツムリはゆっくりと身体を伸ばしたり、縮めたりしながら近づいてきますが、ふと身体を動かすのをやめて、長い二本の触角を四方に動かします。と、何かに気づいたのか、幹を降りるのをやめて斜めに進路変更しました。 |
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妹 | あ、逃げちゃう。逃げちゃうよ、お兄ちゃん! |
兄 | うるさいな、静かにしてろよ。 |
兄は腕を伸ばして木の枝をカタツムリに近づけますが、その動きは俊敏ではありません。 |
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妹 | もう届くよ! お兄ちゃん、お兄ちゃん。 |
けれども兄は、すっと手を引いてカタツムリに枝をかけるのをやめてしまいます。 |
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妹 | どうしてよ、取れるのに。 |
兄 | あのなあ、あれ持って帰ったって、お母さん気持ち悪いっていうぞ。 |
妹 | そんなことないよ、きれいだよ。 |
兄 | それになあ・・・ |
妹 | あっ! 落ちた! |
カタツムリは足を滑らせたのか、幹のこぶにつまづいたのか、幹からはがれるようにぽとりと根元に落ちていきました。その木の根元はアジサイの花が囲んでいます。 |
妹 | どこかなあ、カタツムリ。 |
兄が木の枝でそおっとアジサイの葉をよけると、カタツムリは濡れた地面の上をもぞもぞと這っています。 |
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妹 | いたよ、いた! |
兄 | いるな・・・でもな、カタツムリだって家に帰りたいのかもしれないぞ。 |
妹 | ・・・カタツムリにも家ってあるの? |
兄 | そりゃあ、あるだろ。 |
妹 | 家かあ、そんならお母さんもいるの? |
兄 | あたりまえだろ、お母さんもお父さんもいるだろ。 でも、このおっきなのがお母さんかもしれないけどな。 |
妹 | カタツムリのお母さん! |
兄 | かもな。 |
妹 | そうかあ。それじゃ家帰んないといけないね。 |
兄妹はしばらくアジサイの葉の下のカタツムリを見守って何やら言葉を交わしていましたが、じきに飽きたようで、木の枝を振り回しながら、別の場所に歩いていきました。