2022.07.11
[2022.7.6 清瀬市上清戸]
トウモロコシや沢山の種類の採れたて野菜が町の直売場に並ぶ季節になりました。史上最速の関東梅雨明けのあと1週間以上猛暑日が続き、台風4号の影響でしばらくの曇りや雨模様の日がありましたが、再び蒸し暑い日が訪れています。さすがに、体温に近い(時に越える)ような酷暑をもたらす空模様を「好天」というのは憚られますが、さっぱりと晴れ上がった日を私たちの多くは「良い天気」といいます。しかし「良い(悪い)天気」という表現はテレビやラジオの天気予報では使われません。
都市農地の多いこの地域ではご存じの方も多いかもしれませんが、畑の作物にとって、太陽の光と潤いの雨は双方等しく大切な滋養です。日照が少なければ、気温が上がらず植物の光合成も進みません。雨が少なく日照りが続けば、キュウリもトウモロコシも立ち枯れてしまいます。
人間だって明るい晴天の日が好きな人ばかりではないかもしれません。昔のように、しとしと降り続く梅雨の季節に、部屋で静かに本を読んだり音楽を愉しんだりすることが何より幸せだと思う人もいれば、カンカン照りの真昼間に大汗をかきながら運動したりウォータースポーツに興じたりすることを無二の喜びとする人もいるでしょう。ある人にとっての「良い天気」が別の人には「悪い天気」でありうるというわけです。
翻って、人生にとっての天気といったらどのようになるでしょうか。良い天気といえば、物事が計画通りに順調に進み、志望校に合格したり、職場で昇進を果たしたり、素敵な人と結ばれることができたりといったできごとに恵まれた日々が思い浮かびます。あるいは、定年を迎えても、経済的不安もなく、大病にもかからずに静かに老後の生活がおくれたら、そんな日々は凪をもたらす穏やかな好天に譬えられるかもしれません。一方、悪天候と言えば、計画がことごとく挫折したり、成長を見込んで投資した会社の株が急落して証券が紙屑のようになってしまったとか、伴侶の不倫が発覚して熟年離婚を余儀なくされたとか、こちらも様々な事態が思い浮かびます。
ここで思い出されるのは、「禍福は糾える縄の如し(史記 南越伝)」ということわざです。もちろん、幸不幸の一つ一つはその人にとって固有の意味がありますから、十把一絡げに教訓めいた言葉で整理することはできません。けれども、ある時期の不幸(悪天候)が、それを乗り越えることによって次なる危機を克服するきっかけとして作用し、私たちの人生が深みを増すということも期待できないわけではありません。荒海に鍛えられた漁師が、風向や空模様を読む眼力を増して、豊かな漁場により安全に辿り着く方法を身に着けていくように、私たちも「悪い天気」の日々をどのように明日につなげていくかを工夫してみる努力が大切といえるでしょう。