ふじみクリニック

心的外傷後ストレス障害(PTSD)(1)-心の傷の複雑性

2023.4.25


[2023/4/15 清瀬金山公園周辺 フデリンドウ]

トラウマとは

精神医学・医療上の議論で通常用いられる「外傷(トラウマ)」とは、「精神的」ないし「心理的」外傷のことです。阪神・淡路大震災(1995)以来、わが国でもこの言葉はにわかに市民権を得たようですが、精神医学の歴史のなかで、「こころの傷」とその後に生じる何らかの異常な心身の症状との因果関係は、問題提起がなされてもやがて忘れられ、闇のなかに葬り去られる、ということが繰り返されてきました(参考図書1)。

日常的なやり取りのなかでも、「その言葉に深く傷ついた」といった表現を私たちは口にするように、「こころの傷(痕)」というものの存在を認識し、それが深刻な場合には自死にまで追いやられる事態もありうるという理解があります。その一方、「誰だって苦しいこと、いやなことの1つや2つ体験したことはある」という発言に代表されるように、何があってもそれを「耐える/克服する/乗り越える力」を持つべきであり、それができない人の場合、「個人の弱さ」の方を強調する考えもまた、私たちのなかに潜んでいるように思われます。

つまり、「こころの傷」にまつわる議論には、「どんな体験が与えられたか」というトラウマの大きさとその影響に関するものと、「それに耐えて乗り越える」個人の忍耐力や対処能力に関するものとの2つが混ざっていて、どちらが強調されるかによって、しばしば議論が噛み合わなくなるように思われます。

トラウマの影響または「トラウマ度」:トラウマとは意味の体験である

さまざまに異なる生きた(多少とも能動性を有する)人間と、ある出来事との相互作用を「体験」と定義づけたとしたら、まったく客観的な体験などはありえず、どんな体験もその人の主観(受け取り方や解釈の違い)に彩られています。たとえまったく同じ程度の交通事故に遭って死の恐怖を味わい、同じ程度の怪我をしたとしても、その人がその体験を認知する仕方によって、あるいはそれを体験する前後の状況によって、「外傷体験の意味」≒「トラウマ度」は大きく異なってきます。

例えばほんらい反戦志向をもった人が徴兵され、強制的に送られた前線で身を守るためにやむなく敵の兵士を殺した場合と、「祖国を守る」という熱意をもって自ら志願兵となり同じ行為をした場合とでは、同様の戦闘行為でもその心的影響は大きく異なってくるわけです。あるいは教祖に隷従して確信的に犯罪を行った信徒が、現実認識を取り戻し改心したあとに、自らの過去の行為を想起して深い罪の意識に聾われるような場合にも、主観によってトラウマ度は180度変転しうることでしょう。

どんなにつらかったとしても、周囲の人間にオープンに話しやすい体験、その場に居合わせたほかの人も平等に巻き込む天災のような人為性の少ない体験では、たとえ「死の恐怖」に襲われたとしても、比較的トラウマ度は低く、速やかに回復できる可能性が大きいといえます。

これとは逆に、人為性が高く、それを家族や他人に打ち明けにくい体験では、たとえそれが直接「死」を直感させるような体験でなくても、トラウマ度は高くなります。レイプ被害、家庭内の子ども虐待、いじめられ体験などが後者の典型例であり、こうした体験はしばしば持続的・反復的外傷「状況」を構成しています。

図1 様々のトラウマとなりうる事態とトラウマの重症度

図1には以上述べた、トラウマになりうるさまざまな事態とそのトラウマ度を、図2 にはトラウマ・プロセスの概略を整理してみました。

自ら訴えず(訴えることができず)、誰にも気づかれないまま適切なサポートを受けられないと、トラウマの心的処理(トラウマ・プロセス)は最悪の経過をたどります。被害者には深いスティグマ(恥辱惑)が刻み込まれ(参考図書2)、その影響は「抑うつ性障害」をはじめとする種々の臨床的症候群のみならず、より持続的な「人格障害」や対人関係障害を生じさせることも少なくありません(参考図書3)。

さらに、たとえぱ交通事故の被害者の場合を考えると、事故後の加害者の態度や保険会社の対応、また担当した警察官の事情聴取の仕方によっても、当事者のその後のトラウマ・プロセスは大きく影響されます。加害者の真摯な反省と悔恨の情に触れ、警察や保険会社の迅速な事務処埋が行われた場合と、罪を認めない加害者との長期の裁判沙汰にもつれ込んだような場合とでは、そのトラウマ・プロセスが大きく変わってくることは理解しやすいでしょう。

図2 トラウマ・プロセス

トラウマの重症度とは、このように多くの変数が相互に影響しあって決定されるものです。また、現在までの諸研究から、ある閾値を超えたトラウマ度の外傷体験は、それを体験する個人側の特性にかかわらず、ほぼ一定の心身の症状や後遺障害を引き起こしうるという見解に到達しています(参考図書1,3)。

これが医学的基準のなかに設けられたのが、心的外外傷後ストレス障害(Post-traumatic Stress Disorder; PTSD)です。表にアメリカ精神医学会の規定するPTSD基準(2000,2013)の骨子を挙げました。

次章では、事例を挙げてPTSDを負った人の多彩な症状や苦悩を、具体的に見ていくことにしましょう。

DSM-Ⅳ-TR (2000) DSM-5 (2013)
A
  • 身体が損なわれるような危機的況の体験、目撃、直面
  • 強い恐怖心や無力感や戦慄などの反応が生じる
A
  • 死亡、重傷、性暴力等の体験、目撃、直面
  • 近親者や親しい友人に起こった心的外傷体験の伝聞
  • 職業上、心的外傷となる出来事に繰り返し強く曝露される
B
  • 再体験症状
B
  • 再体験症状
C
  • 回避と麻痺
C
  • 回避と麻痺
    D
  • 認知と気分の陰性の変化
D
  • 覚醒亢進症状
E
  • 覚醒亢進症状
E
  • 1か月以上の持続
F
  • 1か月以上の持続
 
  • 臨床的苦痛、社会的・職業的機能障害
G
  • 臨床的苦痛、社会的・職業的機能障害
  • 6歳以下の子どもに対する基準を別個に詳細記述

表 DSM-Ⅳ-TRとDSM-5のPTSD基準の骨子

〈参考図書〉
1)ジュディス・L・ハーマン著,中井久夫訳:「心的外傷と回復」,みすず害房,1996
2)穂積純:「甦る魂-性暴力の後遺症を生き抜いて」,高文研,1994
3)中山道規,佐野信也編著:「ACの臨床」,星和書店,1998