2023.8.28
[2023.8月 松山保存林]
依存症という言葉は,病的なものからそれほどひどくない行動特性まで様々の場面で頻用されるようになっています。酒(アルコール),たばこ(ニコチン),違法薬物への依存など古典的なものから,最近ではスマホ依存,ゲーム依存,セックス依存などの言葉もよく聞くようになりました。つまり,「依存(症)」とは,アルコールなどの化学物質に耽溺し,日常生活に支障をきたしているにもかかわらず,その摂取を自発的にやめることができない状態のことを当初指していましたが,現在では,「モノ」以外の「行為や関係性」にはまり込んで,本人や周囲の人々に様々の問題や苦悩を生じさせるタイプのものも採りあげられるようになっています。後者のような「モノ以外への依存(症)」を総称して,「行為・プロセス依存(症)」という言葉も使われます。
今回はこの「行為・プロセス依存(症)」について簡単に述べたいと思います。
医学的診断(≒病名)としての「依存症」は,もとは物質依存症だけでしたが,現在では,ある行為やプロセス(過程,成り行き,状態の変化など)に関する依存症が含まれるようになりました。もっとも,正式に診断基準が設定されているのは,米国精神医学会(APA)による公式診断基準(DSM-5)では,「ギャンブル障害」のみです。世界保健機構(WHO)によるICD-11では,「ギャンブル症〈障害〉」と「ゲーム症〈障害〉」の二つです。
一方,上に触れた「関係性への依存」とは,家族,友人,恋人その他の身近な人への依存(いつも一緒にいなければ不安になる,何かあった時にただちにその人の意見や指示を求めたがるなど)は,上記のような診断基準には含まれませんが,それが極端な場合には,診療の中で検討すべき課題として浮上することは珍しくありません。
WHOは「依存症」を次のように規定しています。「精神に作用する化学物質の摂取や,ある種の快感や高揚感を伴う行為を繰り返し行った結果,それらの刺激を求める耐えがたい欲求が生じ,その刺激を追い求める行為が優勢となり,その刺激がないと不快な精神的・身体的症状を生じる,精神的・身体的・行動的状態」。
上記は,誤解のないように規定するための医学的表現ですが,私たちにとっては,少々呑み込みにくい,硬い言い回しです。後半の「ある種の快感や高揚感を伴う行為」(依存対象となる行為)云々が「行為・プロセス依存」です。もう少し説明を加えて,わかりやすく箇条書きしてみると,次のようになるでしょうか。
したがって,行為・プロセス依存の対象は,まず①の「それによって,快感や高揚感を感じる」行為や状態の変化ということになります。ICD-11に取り上げられたギャンブルやゲームについては,私たちの国はもちろん,世界中で異論がなかったわけです。
私たちの身の回りで,「快感があり,はまりやすい行為」はギャンブルやゲーム以外にもたくさんあります。ブランド品の買い物(収集),スポーツ,食物,性行為などはもちろん,仕事なども含まれる場合があります。仕事をしていないと落ち着かない,休日になると何をしてよいかわからず空しく苦しい ― などという場合には仕事依存(ワーカホリックという英語もあります)と言ってもよいかもしれません。
これらの現象の「重症度」は,連続的なものです。上の箇条書きの④あたりが境界線であり,⑤,⑥となると病的であり,依存「症」と診断される領域に入ることになるでしょう。
しかし,どうして私たちは,自分の家や財産,友人,家族までも失うほどにその行為をやめられないのでしょうか。プロセス依存症の中でいちばん研究が進んでいるのが「ギャンブル依存症」です。特殊な性質(素因)をもった人だけが,破産するほどのギャンブルにのめりこむのでしょうか。
1950年代前半,ジェームズ・オールズという学者が,ネズミを使った実験により,脳の中に「課題(仕事)に対する報酬」のような効果を発揮する(信号を発する)神経系があることを突き止め,これを「脳内報酬系」と名付けました。その後の研究で,人間にも,中脳の腹側被蓋野を起点にして大脳辺縁系の側坐核を経て前頭前皮質に至る神経系が脳内報酬系として機能していることがわかりました。
脳内報酬系のニューロンは,ドパミンという重要な神経伝達物質を含んでいます。1960年代に,てんかんの治療中に人間の脳内報酬系を刺激する試みが行われたことがありました。すると人は「とても強い快感」を感じると報告したのです。その後の研究で脳内報酬系のドパミンは快の情動を介して人や動物を行動に駆り立て,その意欲を強めていると考えられるようになりました。ほんらい,脳内報酬系とは環境の中から生存に必要なもの(食物や繁殖の相手など)を見つけ,それに向かって身体を動かすための「生存に必要な神経システム」なのです。
ところが人間社会では,生物として生きていくために必須なもの以外にも,快感を与えてくれる様々な物質や行為が生まれてきました。快を感じる何らかの行為を繰り返していると,その行為そのものでなくても,それに付随する刺激 ― パチンコ店に繰り返し流れる音楽やパチンコ玉の流れる騒音とか,居酒屋の赤ちょうちんとか ― を見聞するだけで脳内報酬系が容易に活性化するようになります。一方では,自分が依存している行為を思い出させるような刺激に対する報酬系の感度は鈍くなり,その行為以外のものごとへの関心が低下していくことも知られています。
依存症は,今でも「心の弱さ」と思われがちですが,ある種の物質の摂取やあるタイプの行動を繰り返すうちに,快楽や喜びを感じる脳の回路が変化し,その変化が定着してしまうことによって引き起こされる「病気」です。脳内報酬系から分泌されるドパミンは神経を興奮させて快楽や喜び,高揚感を引き起こし,さらに行動が反復されるうちに,その行為を喚起する刺激にも反応しやすく特化してしまうのです(パブロフの犬!)。その結果,あたかも脳がハイジャックされたように自己制御困難になり,いよいよ『脳の要求』に抵抗できない状態に至ると,「依存症」が完成するというわけです。いったん依存症に陥ると,今度はドパミンが放出されたとしても引き起こされる快楽や喜びが次第に少なくなっていき,もっと強い刺激をと求めて特定の物質の摂取や行動がエスカレートするという悪循環に陥るのも特徴です。
「依存症」になりやすい個人の素因があるかどうか,完全に解明されてはいません。基本的に,ある状況にさらされれば,私たちは誰でも依存症にはまりうると考えておいた方がよいでしょう。そのプロセスが始まってしまうと,たんに「本人の決意」とか,「周囲の助言」だけではそこから抜け出せ難いのは,上述のような脳内変化が関わっているからです。
種々のレースや登山,ダイビングなど危険を伴う冒険的な行為が元から好きな人がギャンブル依存症になるような場合があります。しかしより日常的に見られるのは,とり立てて冒険好きなどではないが,日々のストレスに疲れ,憂さ晴らしとして採った行動が妙な具合に不安や苛立ちを鎮めてくれたり,つかの間の非日常を体験することが手軽なストレス解消法となったりする(報酬系の特定のルートが開く)ことによって,その行動が反復されていくうちに,快を得る代替困難な手段として脳に記録され,依存症が成立するといったケースです。
具体的には,それまで賭け事などには無縁だった中年サラリーマンが,職場の上司とのちょっとしたいざこざに疲れ,むしゃくしゃして入ってみたパチンコ店で大当たりしてしまったことをきっかけにパチンコ店通いがやめられなくなったり,夫婦不和を感じていた主婦が,料理の合間にワインを一杯飲んだらなんとなく楽に家事ができるようになり,知らぬ間にキッチンドリンカーに移行してしまうといったケースなどです。
筆者の狭い経験の範囲では,他の精神科の病と同様に,「孤立・孤独」が依存症の促進要因として最も重要だと考えています。すなわち,①あまり開放的・社交的でない性格の持ち主や,そうした生活スタイルを送っている人が,②主に対人関係上の葛藤やストレスにさらされ,③それに没頭していると他のことをすっかり忘れられるような行動に偶発的に出会ったときに,プロセス依存症への道が始まるのではないかと感じています。
治療については本コラムの範囲を超えますので,相談機関等を含め,以下をご参照ください。
厚労省 ① https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000070789.html
② https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000149274.html
③ https://www.mhlw.go.jp/izonshou/tokusetsu.html
依存症対策全国センター:https://www.ncasa-japan.jp/you-do/treatment/treatment-map/