ふじみクリニック

ドメスティック・バイオレンス(2)ドラマ「ラスト・フレンズ」から

2023.9.28


[2023.9月 中清戸]

ラスト・フレンズ(2008)
美知留と宗佑

このような親密な関係の中で生まれる暴力について,2008年の4月から6月にかけてフジテレビ系列で放映されたドラマ「ラスト・フレンズ」(1)を素材にして考えてみましょう。

このドラマはDV,性同一性の混乱,児童虐待など多くのテーマを絡ませて展開していきますが,全編に通底する主題は「家族」です。本作は第1話から視聴率13.9%を稼ぎ,その後も徐々に上昇し,最終第11話では視聴率22.8%に達していました(関東地区ビデオリサーチ社調べ)。そのころ人気のNHK「龍馬伝」の視聴率が20%前後だったということですから,ラスト・フレンズはかなりの高視聴率を叩き出したといえます。


ドラマ 「ラスト・フレンズ」の主な登場人物
[佐野信也:保健師ジャーナル 66 (10):890-895,2010]

このドラマのバタラー(加害者)である及川宗佑をあえて精神科診断すれば,強迫性格傾向や衝動制御困難性が認められはしますが,これらは基本的にバタード(被害者)役の藍田美知留との関係の中でのみ現れるということを考えると,「親密性の中で発展する暴力」の好適なケースといえるでしょう。

宗佑は児童福祉課に勤務する地方公務員であり,職場で何か問題を起こしたり,攻撃的な性質を示したことはありません。美容師の美知留と知り合い,恋に落ちた経緯は詳しく語られていませんが,同棲を始めた翌日から宗佑の理不尽な暴力が始まります

早朝,美知留が目を覚ます前に彼女の携帯電話をチェックしていた宗佑が,美知留の友人である瑠珂からのメールに反応して,美知留には理解できない勢いで,別の男ではないかと怒りだします。瑠珂は高校時代の女友達なのだと美知留が弁明すればするほど宗佑は疑いのまなざしを鋭くして,暴力をふるう。しかし荒々しい暴力の後,宗佑は謝罪し,美知留を強く抱きしめます。初めて目のあたりにした宗佑の激高する姿は美知留にとって別人のように感じられましたが,その後の打って変った優しい態度に,美知留は宗佑に不信感を抱かせた自分の方を反省してしまうのでした。

以降,宗佑が美知留を虐待するのは,美容室で男性客に対応したとき,帰宅が約束より(どんな仕方ない理由であれ)遅くなってしまったときなどであり,暴力を振るいながら,「どうして約束を守れない」と宗祐は美知留を激しく責め立てます。

つまり宗佑の立場からすると,暴力に訴えざるを得ない「理由」があるわけです。自分(宗佑)は美知留の存在を誰よりも何よりも一番に考えているのだから,美知留もそう考え,自分の存在と願いを最優先にして当然だと宗佑は考えるのです。だから美知留が瑠珂やシェアハウスの友達を自分と同じ水準で考えることがどうしても許せません。

ここでは,「親密であること」とは,別の人間には不可侵の唯一無二の閉鎖的な二人関係を守ることを意味しています。このような一種純朴な態度を何の疑念もなく提示されたときに,「本物の愛情」と誤解するのはじつは美知留だけではありません。シェアハウスに避難している美知留宛に宗佑が送ってきた大量の手紙を瑠珂と焼き捨てながら,シェアハウスの住人の中では性的奔放さを謳歌していたはずのエリがふと漏らします。

「あたしはさぁ『絶対の愛』とか信じないわけよ。今までいろんな男とつきあってきたじゃん。いっときはパーッと燃え上っても,終わってみるとなんだったんだアレって思うしさ。いや,だからいやとかっていうんじゃなく,愛ってそういうものだと思うんだよね」
「だから男にも,ずーっと愛してなんて言わないし,そんなこと相手に望むのはヤボだって思ってた。でもこの手紙を読んでると,絶対に変わらない愛,みたいなのがこの世のどっかにあるかもって思えてくるんだよね。不思議なことに。」

宗佑の美知留への愛情は,このドラマのキャッチコピー『今を生きる若者たち,それぞれの愛のかたち』をなぞれば,たしかに愛情の一形式と言えないこともありません。しかしそれはどこまでも「子どもの愛」としか言いようがないものです。

美知留は,宗佑の暴力と支配的態度に辟易し,宗佑の部屋を逃げ出し,友人たちの部屋に逃げ込み,その保護を受けます。しかしその後しばらくすると,友人の警告を振り切って,何度も宗佑のもとに戻ることになります。避難先のシェアハウスの前で宗祐が雨の中一晩中立ちつくして自分を待っていたと知ったとき,宗佑の職場に美知留が電話して彼が仕事を休み寝込んでいることを知ったとき,宗佑を振り切って出かけた瑠珂のオートレース観戦後「これから死ぬことにした」と宗佑からの電話を受けたとき。

そうは言っても,美知留は現実の事例と同様,宗佑の考えに無条件に盲従しているわけではありません。その支配的態度に異議を唱える美知留に応える宗佑の言葉は,バタラーの心情をよく表しています。宗佑の暴力から何度目か友人たちに救出された後,宗佑に電話で『別れたい』と伝えるシーンを例に引きましょう。

「(シェアハウスの連中は)いろいろいいことを言うだろうね。でもしょせんは他人だから。きみを最後には見捨てる連中だ」
「宗佑は違うの?」
「ぼくは,死ぬまできみを見捨てない」
「あたしね,宗佑といると自分がなくなっちゃう。宗佑のことでいっぱいいっぱいになって,自分のことを考えられなくなるの」
「それでいいじゃない。僕もきみのことで頭がいっぱいだよ」
「それでいいと思ったこともある。でも,違うと思う。あたしはもっと,自分の頭で考えて,自分の人生を生きたいの」
「言ってること,わかんないよ。きみのこと,こんなに大切にしているのに」
「宗佑はあたしを殴るよね。どうしてなの? あたしを自分の思い通りにしたいから?」
「きみとひとつになりたいんだ」

宗佑は美知留が自分の部屋に引っ越してきた瞬間から,美知留が自分の世界のルールで動くことを当然と思っているかのようです。性的に親密であることが,パートナーのいずれにとっても,相手に対して他の誰よりも支配的に振舞ってよいという特権を保証するものと前提されているようでもあります。たしかに現行の一夫一婦婚姻制度は(結婚前であっても)相互に一定の束縛を課すことを許容する根拠となっているわけですが,宗佑(バタラー)において特徴的なことは,美知留が自分と違った感情を持つかもしれないという想像力が決定的に欠けているという点ではないでしょうか。

作中に描かれた宗佑の生活史を辿ると,幼少期母に捨てられ親戚をたらいまわしに(ネグレクト)されて育っています。一方美知留は,生計能力に欠けるアルコール依存症の父との離婚後,美知留の収入をあてにして放縦な生活を送る母と,親子を逆転させたような関係の中で暮らしてきています。

見捨てられ続けてきた宗佑が求めるものは,自分のことだけを見続けてくれる母親の愛です。美知留は宗佑の暴力の背後に脆く傷つきやすい赤子の魂と,自分と同質の寂しさを見つけて,離れるに離れられないのです。

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