2024.03.31
[狭山市 広瀬神社 2024年3月31日]
暖冬と言われていましたが,2月後半から3月にかけて週ごとに気温の変化が大きく,身体を慣らすのに一苦労でした。2月に入ると,清瀬駅前のけやき通りに一本だけある河津桜が,くすんだ風景の中で一足先に新しい季節の到来を予感させてくれました。3月になると,その河津桜の対面にある大きな農家の庭に植えられたミモザの花が賑やかに街路にはみ出して,駅に急ぐ人の足を停めます。少し遅れて,ミモザのすぐ隣の大きなハクレンの樹がポンポンと大柄の花を咲かせ,いよいよ本格の春のはじまりです。駅から離れて少し歩くと,ソメイヨシノより一足先に,萌黄色の若葉と一緒に咲いているのはヤマザクラです。
そんなふうに季節の移ろいをぼんやりと眺めているうちに,あれよという間に3月も終わりの日になって,いきなり気温が上がり少し歩けば汗ばむほど。身を縮めていた桜がもう大丈夫だね?と周りの樹々と念を押しあったかのようにいっせいに開花しました。筆者の自宅近くの古い神社の枝垂桜は例年早咲きなのですが,ここにきてようやくあたりを春色に染めています。
それにしても,欧州や中東地域の戦火は一向にやまないどころか拡張の気配さえあります。戦争地域からそれなりの距離に暮らしている私たちのこの国も,防衛費を倍増し,文言上の制限付きであったとしても武器輸出を認め,これはもう新しい「戦前」なのではないかという気さえします。液晶画面越しに見るウクライナやガザの映像を見ていると,実際に硝煙の鼻をつくにおい,爆撃を受け粉々になったビルの瓦礫の山からたちのぼる焼けた土埃のにおいがこちらまで漂ってくるようです。政治や防衛政策を語るのは本コラムの埒外のはずですが,ノンポリの精神科医療者にとっても,このままでいいわけがない,でもどうしたらいいんだろう,と日々わが身の無力を思い知らされるばかりです。
その一方,株価の高騰や賃金アップとか,一見景気のよい話も毎日のニュースのネタになっていますが,庶民の暮らしがいくらかでも楽になりそうだという予感/実感が得られないのは筆者だけでしょうか。
さて「新年度」が愚痴話からはじまってしまいましたが,今日一日を精いっぱい生きる,大きなことができないとしても,道に転がった石ころを一つ拾って誰かが転ばぬようにと祈ること,そんな日々を積み重ねていければと思います。