ふじみクリニック

医療安全について(最終回)

2024.05.27


[青梅市 2024年5月]

第1回(記事はこちら)

1.医療安全管理とはどういうことか,その対象はどのようなものか
2.医療安全管理は,理想と現実の架け橋である

第2回(記事はこちら

3.医療安全管理の成否は医療者の志気(morale)に直結する
4.3種類の「危機管理」
1)リスク・マネジメント(RM)とクライシス・マネジメント(CR)
2)問題探索的・先見的危機管理(IM)

第3回(記事はこちら

5.倫理綱領の策定・公開と説明責任:透明性と相互性を備えた率直な情報開示の重要性

第4回(最終回:本コラム)

6.医療安全において用いられる用語の整理
1)有害事象(occurrence, sentinel event),過誤(error, mistake),過失(negligence)
2)医療水準(medical standards)
3)注意義務,安全配慮義務
4)予見可能性(predictability)
5)説明義務

おわりに
引用文献

6 医療安全において用いられる用語の整理

医療安全は,医学・医療用語のみならず,法律や企業経営論の領域で用いられる言葉が多用される分野です。本連載の最後に,この分野でよく使われる用語について整理しておきましょう。

1)有害事象(occurrence, sentinel event),過誤(error, mistake),過失(negligence)

「有害事象」とは,患者さんの疾患に由来するものではなく,医療行為のプロセスで生じた有害な出来事の総称であり,それが過誤や過失に由来したものであるか否かを問いません。一方,事故が起こる可能性が把握されていた(予見可能性があった)にもかかわらず,それを避ける十分な努力を払わなかった(回避義務違反)事態を示す法律用語は「過失」です。また医療提供者の「過誤」とは,過失より広い概念であり,何らかの人為的な要素が含まれて生じた有害事象を意味しています。医療事故に関する頻用語を表3に示しました。

表3 医療事故に関する用語

  医療事故に関連する事象
不可抗力
(医薬品や輸血による
副作用を含む)
過誤(ミス・エラー)あり 過誤
なし*
過誤による
有害事象
発見し対応
できた事例
有害事象が
生じなかった
「幸運事例」
生じてしまった有害事象 有害事象になる可能性のあった事象
厚生省報告 アクシデント インシデント
厚生省リスク
マネジメント
マニュアル
作成指針(2000)14)
医療事故
医療過誤 ヒヤリ・ハット事例

(伊藤弘人15)より一部改変)

*過誤が介在しない有害事象の可能性のあった事例。有害事象の可能性のあったものを洗い出すプロセスで浮上してくる。例:医療者は適切な問診を実施していたが,患者さんが申告し忘れていたアレルギー食品が給食メニューに含まれており,患者さんはそれを食べ残すことでアレルギー反応が回避された。

2)医療水準(medical standards)

医療者がその時代において備えていることが期待される医学,医療の知識や技術水準のことであり,医療者の予見義務と回避義務が発生する土台となるものです。

複数の最高裁判例を参照すると,「医師には最善の注意義務が要求されるが,その基準は診療当時における医療水準である・・・最善の注意義務を果たすには,絶えず研鑽・努力する義務を負い,自ら適切な診療をすることができないときには,他の適切な医療機関に転送すべき旨を説明して勧告すべき(転送説明・勧告義務)である」と説明され,「当該医療機関の性格,所在地域の医療環境の特性などの諸般の事情を考慮すべきである」とされています。さらに「医療水準は,平均的医師が現に行っている医療慣行とは必ずしも一致するものではない」と付言し,不断の研鑽を怠らず,より高い水準を目指すことを求めています4)

3)注意義務,安全配慮義務(duty of safety consideration)

ある行為を実施する際に好ましくない結果が生じないように一定の注意を払う義務のことです。医療においては,委任を受けた人(医師)が,当時の医療水準に照らして要求される注意の範囲(善管注1 注意義務)はどの程度のものかが議論されることになります。
安全配慮義務とは,ある法律関係に基づく特定の社会的関係に入った当事者間において,その法律関係の付随義務として,当事者の一方または双方が相手方に対して信義則注2 上負う義務(最高裁判決1975年2月)とされています。

医療機関と患者さんとが結ぶ法律関係は「準委任契約」と考えられています。いくつかの判例を参照すると,「一般に,病院は入院契約注3 上の義務として,社会通念上相当な限度で入院患者さんの生命・安全について配慮すべき義務がある(東京地裁八王子支部判決1984年12月)」。とりわけ,「精神科病院の場合,その病気の特性上,正常な判断ができず,自傷・他害に及ぶ者がいることから,精神病患者の入院治療契約の内容には,患者さんの病状に応じた治療行為を行うとともに,その入院生活を通じて,その症状に注意を払い,自殺,他殺,その他不慮の事故の発生を防止するため,患者さん本人および他の入院患者さんの生命・身体の安全について配慮すべき義務があると解される(福岡地裁判決1976年11月)」とされています。

注1 「善管」とは,「善良なる(=常識を弁えた普通の)管理者(業務を委任された人)」の意味。

注2「信義則(信義誠実の原則)」とは,社会の一員として,互いに相手方の信頼を裏切らないように誠意をもって行動しなければならないという民法の基本原則のうちの一つ。民法1条2項に規定されているが,条文にはその具体的な内容まで明記されてはいない。

注3 一般に,契約の形式には,請負契約,雇用契約,委任契約などが法的に区分されている。例えば建築業者に住宅建築を依頼する際には,仕事の完成を目的とする「請負契約」が結ばれ,契約書通りに住宅が完成されなければ費用を支払わなくてもよい。しかし医療においては,治療を始めるに先立って,疾患の治癒や救命を確実に保証することはできない。「雇用契約」においては雇用主が労働者の提供する労働の支配者(指示命令権者)になるので,医師の側が一定の自律性をもって行われる医療行為の実態にはそぐわない。一方,「委任契約」とは,法律行為(遺言状作成や婚姻の届け出等,法的権利に基づいて法律効果を生じさせる目的でなされる意思表示)を実行することを他人に委託し,承諾されることによって成立する。委任契約の法的性質は,諾成・無償・片務契約とされ,労務供給契約の一種であるが,わが国の民法では,委任される行為は法律行為に限定されず,事実行為(私法上は人の意思表示に基づかないで法律効果を発生させる行為であり,行政法上は行政機関の法律効果を有しない活動)でもよいとされており,この場合に「準委任契約」とよばれる。委任契約は無償を原則とするが,特約があれば報酬請求権が発生すると定められている。すなわち医療とは,診療という事実行為を,公認された有償特約を以て患者さんから委任された契約関係の下に遂行される専門職業的行為のことである17)

4)予見可能性(predictability)

「その事故がどの程度事前に予測できたか」という可能性の大きさが法廷における論議の対象となります。この際の評価基準にもその当時の標準的な医療水準が適用されます。

医療事故が起きたときには,単なる予見可能性だけではなく,「予見が可能であった場合には,それについて患者さんに説明し,かつ必要な対策が予め準備されていたか」,さらに「予見できなかった事態が生じたときにも,適切な対応がなされていたか」ということも問題となります。

5)説明義務(accountability)

近年,説明義務違反は,治療過誤と並んで責任を問われることが増加しています18,19)
東京地裁,大阪地裁の医療集中部注4の2004年に下された判決136件中を分析すると,57件(42%)において,説明義務違反の主張がなされ,裁判所が慰謝料を認容するケースが増えていることがわかります。インフォームド・コンセントや説明義務が法廷で争われた場合には,約3割において原告の訴えが認められているとの報告19)もあります。

診療科を問わずその診療行為を通じて医師が患者さんに伝えなければならない項目は,以下の通りです。すなわち,①疾患,病態,症状等の医学的名称,②予定(推奨)される治療内容,③治療によるメリット,デメリット,④治療しない場合の予後,⑤代替治療の有無と内容などであり,これらは判例上確立されている事項です。

精神病患者さんの場合,説明の内容やそれを行う時期に関する配慮は他の診療科と最も異なる部分と言えるでしょう。例えば統合失調症患者さんへの治療を始めるに先立つ説明として,内科や外科医の立場ならば,上記基準に照らして,例えば次のような内容が必要と考えられるでしょう。

「あなたは『幻覚・妄想』に悩まされており,それは統合失調症の症状である可能性が高いと考えられます。この病気の原因は全て解明されているわけではありませんが,現在一般的には,脳機能の障害であると考えられています。その治療にはまず安全確保,休養,薬物療法が推奨されます。薬の効果が現れれば次第に症状は消えていくでしょうが,もし最初の薬剤で効果がなければ,第二,第三の薬を試みることになります。薬物療法にはいろいろな副作用が現れる可能性があります。比較的頻度が高いものとしては,眠気やふらつき,便秘,また身体のこわばりや手のふるえ等の錐体外路症状などです。(薬剤によっては)体重が増加したり,高血糖や高脂血症が現れやすくなります。ごく稀ですが致死的結果を生む可能性のある悪性症候群や他のアレルギー反応も起こる可能性があります。長期投与に伴って,後年「遅発性ジスキネジア」など現時点では治療困難な副作用が生じる可能性がありますが,いずれも服用前に予測することはできないので,前兆が認められた時点で速やかに対処することになります。薬物療法なしに自然治癒する可能性は高くないと考えられており,もし放置すれば症状のために自分の身体を傷つけたり,意図せず他の人に危険な行為を起こすこともありえますから,社会生活が頓挫する確率が高まります。ですから,医師としてはぜひ治療を受けていただきたいと考えています。何らかの理由で薬物療法が実施(継続)できない場合には,頭部通電療法(m-ECT)も考慮されますが,この副作用は・・・・・」

理解力の整った家族と同伴で初診した場合には,少なくとも家族には上述の様な説明を可能な限り文書を用いて行うことが求められています。抗てんかん薬による中毒性表皮壊死を発症して死亡したケースでは,「たとえ稀でも重大な副作用を説明しなかったことは説明義務違反」であり,「患者さんが不安に思うから副作用を説明しなかったというのは正当な事由とは認められない」(高松高裁判決1996年2月)とされています。

一方,単独受診した統合失調症の患者さんに上記のような説明をどこまで詳しく実施できるかということは,患者さんの病感・病識の程度,知的水準,そしてこの病の症状そのものにもかかわる難しい問題です。病識なく治療をすんなりとは受け入れてくれそうにはない統合失調症患者さんに対して,「あなたは統合失調症である」ということを,いつ,どのように説明して,患者さん本人との間でICを成立させるかという問題は,患者‐医師関係の構築あるいは精神療法上の重要な課題でもあり20),現在のところ個別的に判断せざるをえないといえるでしょう。しかしながら,言葉を変え,資料も用いながら,時間をかけて少しずつでも上記に近い内容を,当事者本人とご家族に理解/受容していただく努力が大切です。

最近では,例えば約5%の患者さんはインターネットから薬剤安全情報を入手していたという全家連による調査結果19) 等を考慮すると,少なくとも治療開始後の患者さん・家族は治療方法に関する種々の情報や薬剤添付文書などに接している可能性を念頭に置いて面接を進める必要があります。このように医療情報への接近が容易になったことを,私たち医療者は警戒的,自己防衛的な説明を強いられていると考えるのは生産的ではないでしょう。患者さんから直接疑問が提出されたとしたら,それはむしろ心理教育的素材が与えられた好機と捉え,面接の中で活用する工夫がいっそう要請されるようになったと考えるべきでしょう。

注4 2001年,最高裁に医事関係訴訟委員会が設置されるとともに東京および大阪地裁に「医療集中部」が設けられ,その後千葉,名古屋,福岡各地裁にも医療事故の集中審理部門が設置された。医療集中部は,増加傾向にある医療関係訴訟における審議の迅速化と専門家の証人確保を趣旨としている。

おわりに

「患者さんに害をなしてはならない」という医聖ヒポクラテスの格言を引くまでもなく,治療操作を加えることで患者さんを今より悪くはしないということは医療の基本です。医療安全管理は,医療機関が診療機能を果たすための補助的機能としてではなく,最初に整備しなくてはならない中核的機能であり,そこで働く医療者の志気にも直結する診療基盤の一つと捉えるべきです。あらゆる人為的ミスの可能性を抽出し,その予防策を検討し,危機管理に対応する恒常的システムを構築するのみならず,組織全体でそのシステムの改善努力を日常的に続けていかなければ実効的な安全管理は成り立たないのです。

万一診療上の見落としやミスが判明した場合には,その事実を率直に患者さんや家族に伝え,すみやかに対応策を取る(取った)ことについても了解を得なければなりません。事態が深刻なものであれば,マスメディアへの公表も考慮すべきですが,そのような際には広報責任者(病医院なら院長)はその時点で得られている全情報を把握したうえで会見に臨み,透明性と相互性を備えた率直な情報開示に努めなければなりません。

医療安全管理は多くの人的・経済的コストを要するものですが,そこで守られるものは,患者さんの安全のみならず,私たち医療者自身の職業的自尊心であるということも肝に銘じておきたいものです。

引用文献

1)平井愛山:日本医師会医療安全推進者養成講座 具体的事例から学ぶ医療事故対応,第4版.日本医師会,東京,2009

2)裁判所ホームページ:http://www.courts.go.jp/saikosai/about/iinkai/izikankei/toukei_02.html

3)朝田隆,山口登,堀孝文編:精神科診療トラブルシューティング.中外医学社,東京,2008

4)坂田三允総編集:精神看護エクスペール1-リスクマネジメント第2版,中山書店,東京,2009

5)平成21年度医療安全管理者養成研修会テキスト,日本精神科病院協会医療問題委員会,2008,pp165-166

6)平田豊明:精神科救急医療における医療安全管理.精神医学47:938-941,2005

7)丸山二郎:当院における肺塞栓の現状,とくに予防ガイドラインについて.日精協誌26:652-28,2007

8)鈴木啓子,吉浜文洋編:暴力事故防止ケア 患者さん・看護者の安全を守るために.精神看護出版,東京,2005

9)井之上喬:「説明責任」とは何か-メディア戦略の視点から考える.PHP研究所,東京,2009

10)Cutlip S, Center A, Broom G: Effective Public Relations 9th ed. Prentice-Hall Inc, New York, 2006

11)Johnson & Johnson 社:http://www.jnj.co.jp/group/credo/index.html

12)Shorter Oxford English Dictionary. Oxford University Press; 5th Revised edition, Oxford, 2003

13)Harris Jr CE, Pritchard MS, Rabins MJ,: Engineering Ethics: Concepts and Cases, Third Edition, Wadsworth, a division of Thomson Learning, Connecticut, 2005(日本技術士会訳編:第3版科学技術者の倫理-その考え方と事例-,丸善,東京,2008,pp8-11

14)厚生労働省:http://www1.mhlw.go.jp/topics/sisin/tp1102-1_12.html

15)伊藤弘人:精神科医療のストラテジー.医学書院,東京,2000,pp85

16)Massachusetts Coalition for the Prevention of Medical Errors: When Things Go Wrong - Responding to Adverse Events -A Consensus Statement of the Harvard Hospitals[http://www.macoalition.org/documents/respondingToAdverseEvents.pdf:東京大学医療政策人材養成講座訳 http://www.stop-medical-accident.net/html/manual_doc.pdf

17)前田達明,稲垣喬,手嶋豊:『医事法』,有斐閣,東京,2000,pp214-221

18)藤山雅行編著:判例に見る医師の説明義務.新日本法規出版,2006,pp2-20

19)品川丈太郎:インフォームド・コンセントと医療訴訟の関係について.日精協誌 26:448-454,2007

20)高木俊介:分裂病という病名を伝える-インフォームド・コンセントと分裂病の病名告知-.現代のエスプリ 339:104-112,1995