ふじみクリニック

タイパって何のこと?

2024.05.28


[2024.5月 上清戸]

ゴールデン・ウィークが終わり,清瀬の畑にはたくさんの野菜が植えられるようになりました。夏野菜やニンジンの葉が青々と広がり,名産品のトウモロコシは実りの時季が近づいてきました。駅近くの直売場にはまだトウモロコシは並んでいませんが,その横のベンチではいつもの老人二人が世間話です。

つるりん老人
(以下「つる」)
いや,ここ1~2週間夏日が増えて,今年の夏も「記録的な酷暑」とか言われるようになるんだろうか。
白髪老人
(以下「白」)
そうだね,でもGW前後は雨の日も多かったから,畑の作物がぐんぐん育っている姿には目を瞠るばかりだ。
つる トウモロコシの苗は,収穫時期をずらすために時間差で畑に植えられるから,今は大中小に育った背の高さの違う畑が並んで,なんだか小・中・高校生が勢ぞろいみたいだ。
そんな感じだね。
つる しかし朝夕,畑のすぐ横の道を通る人たちは,畑の様子をちらりとも見ないで黙々と駅に向かっているね。
まあ勤め人や学生は,時間に追われてるからね。毎年見慣れているから,珍しい景色というわけでもないんだろうね。
つる でもさ,日々ぐんぐん葉や茎が伸びていくこの季節は,空気の匂いも爽やかで若々しく感じないかい?
脇目もふらずに歩くだけって,どこか淋しくないかい?
そうさね。
そういえば,この前呼ばれて,娘の家に飯食いに行ったんだけど,大学生の孫がごはん食べながらタブレットか何かずっといじってて,耳にはワイヤレスイヤホンはめて,なんか聞いてるんだよね。
つる 忙しいね。娘さんのせっかくの料理の味がわからなくなっちゃうんじゃないか。
娘が,あんた食事の時くらいそれ止めたら,とたしなめたら,孫の方は,「ああ,でもこれ聴いとかないと,明日のゼミの発表おっつかないんだよ。」ってさ。
つる なるほどねえ。
おれがさ,「そんなふうに飯とタブレットと,それにテレビも時々眺めてるようだと,脳みそバクハツしてしまうぞ。」みたいに言うとさ,「おじいちゃん,今はタイパを心掛けながら仕事(勉強)しなきゃ。」って言うんだよ。
つる タイパ?
『タイム・パフォーマンス』だって。
つる なにそれ。コスト・パフォーマンスみたいな意味?
そう。「時間対効果」ということらしいが,うちに帰ってちょっと調べたら,2022年の『現代用語の基礎知識』に載っていて。要するに,「時間を最大限有効活用して,物事を効率的に処理すること」らしい。
つる そんなの,あたり前のことじゃないか。
物事に取り組むときの集中力を高めろってことだろ。
見そういえばそうでもあるんだけど,孫の言い分の裏には何か,「余計なことは一切しない」とか,「可能なら二つ(以上)のことを掛け持ちする」とか,そういう意識が透けて見えて,どうも腑に落ちなくてね。
つる たしかに,食事しながら調べものしたり,音楽聴いたりするのは,「食事の時間,食べるだけではもったいない」みたいな考えにはまっているわけだ。
いやさ,おれたちだって,現役時代,ホントに忙しいときには会社で徹夜仕事の中で,買い置きのカップラーメンすすりながら書類作ったり,そこらのコンビニで買ってきたサンドイッチ食べながらミーティングしたりということはあったけどね。書類が汁で汚れちゃったりもしたさ。
つる そうだな,しかしこの年になって振り返ってみれば,ひとつの目標を追いかけていて,何かの拍子に横道にそれてしまったとしても,そこで新しい考えややり方に巡りあう,みたいな体験もあったと思うんよね。今はそう思えなくても,無駄な体験なんかない,みたいなことを新人社員によく言ったものだ。
そうそう,目の前だけを見るのでなくて,少し視野を広げてあたりを見回してみるのは結構大事な気がする。何でもかでも「効率」や「生産性」を旗印にされたら,息が詰まっちゃう。
つる そうだよ,最近の「働き方改革」なんかでも,実際のところ,仕事量は同じで,人手を増やすわけでもないのに,残業はするなって,無理な要求を突きつけられて,反論すると「生産性」あげろって言われてもなあ。それまでの働きぶりでは「怠けていた」ってこと? と言い返したくもなる。
少子化とか,保健・医療・福祉財政の行き詰まりとか,手腕のない政治家や高級官僚による持続的円安状況とか,新たな国家間の覇権争いとか,いろんなことがつながっていて,その結果の一つなんだろうけど,もともと日本人労働者の休暇取得日数は,OECD諸国の中では滅法少ない方なんだよな。
つる そういえばさ,ほら,かの有名な,経営の神様とか言われているピーター・ドラッガーの「生産性」に関する名言の一つに,「効率とは物事を正しく行うことであり,効果とは正しいことを行うことである」というのがある。
おっ,学あるね。
でもさ,その「正しい」ってことの内実が問題だね。
つる うん,おれもそう思う。
「幸福」って言葉を使っても同じように,何が幸福かって話になる。
人によってその意味するところが違う。
つる そうだ。
「タイパ」って,時間と格闘して―つまりは短時間で成果をあげろってことなんだろうけど,急ぐことで失われるものがたくさんある。
つる 料理の味がわからなくなることとか。家族や友人と共に過ごす時間とか。
子育てなんか,タイパ感覚でやっていたら,知らないうちに虐待的な対応に陥ってしまうかも。
つる 意見の異なる人との対話もめんどくさくなる。
こんなふうな,つるさんとの,はっきりした結論になかなか到達しないような対話は,タイパ最悪ってことになるんだろうか。
つる でも天気のいい日に,こんなふうに街角のベンチに座って白さんと話していると,時がゆったり流れて,いろんな考えが浮かぶし,これまでの自分の来し方を整理できるような気もする。
タイムはともかく,パフォーマンス(効果)は結構大きんだよな。
つる その通りだ。
「効率性」,「短時間集中主義」ばかり重視しすぎると,拙速・短絡・無思慮に陥る。
つる ・・・そんな人生楽しくないよなあ。
たしかに。「楽しい」と「幸せ」は全く同じではないけれど,豊かさというのは,「お金」や「物の豊富さ」だけではない。
つる お金かあ。でもお金で買える時間もないわけじゃないから,むずかしいね。
たしかに。
つる 楽しくて幸せな時間を過ごしたいなあ。
もちろんね。あれもこれも欲しがるのではなく,今この自分にとって大切なことは何かを考えることかな。
つる 考えて,いちばん大切なものを選ぶためには,むしろ何ものか諦める物や事柄を選び出すことも必要だということか。
そう・・・
つる ・・・だけどさ,おれたち話していると,なんかいつも「あきらめる」っていうところに話がいくようで。
ははは,たしかにね。若い人たちに「あきらめなさい,それであなたは救われる」なんて説教?しても通じないよね。
つる まあね,でも全部あきらめろって言いうわけじゃないんだから。
幸せになるために,いちばん大切なこと。
つる それはあきらめちゃいけない。
そしてそれには一般的な正解があるわけじゃない。
つる まあ日々を一所懸命生きて,あれこれ動いて考え続けて,気がついたら年食っていて,あきらめざるを得ない状況を受け入れざるを得なくなるのかな,われわれ凡人は。
まあね。でもやっぱり若い人たちにも,息苦しくなったら,ちょっと足を止めて振り向いて,走ってきた道筋を見直したり,左右を眺めて自分がいる場所がほんとうに居たいと思った場所かどうか考え直してみてほしい気がする。
つる 人生は長いんだから。
長いようであっという間だ,とも言える。
つる 短いようでいろんなことがある,ともね。
いっさい後悔しないような人生なんてきっとありえないんだろうけど,おれたち,残された時間は意味ある日々にしたいものだ。
つる 意味,価値,甲斐・・・
考えすぎるのもよくないのかな。
つる そうだね,トウモロコシの葉が5月の風に揺れるのを,こうしてぼーっと眺めているのは,おれにとってはかけがえのない時間だよ。これは今自分が大切にしたいことのかなり上の方にくるかな。