ふじみクリニック

心理教育 - 特別な流儀をもたない常識的精神(心理)療法 -

2024.08.31


[2024.8.31 狭山市]

1.精神科における薬物療法と精神(心理)療法

 精神科あるいは心療内科における治療には,大きく分けて薬物療法など主に身体に働きかけるものと,医師のみならず心理士やソーシャルワーカーによるカウンセリングや精神療法など主にこころに働きかける治療があります。前者は内科等の身体診療科ととくに変わりはありませんから,その目的や効果(副作用を含めて)の自己評価も困難ではないでしょう。

 しかし「精神療法」というのは,多くの日本人にとってあまりなじみがなく,また当院のような街中の診療所では,特定の理論に基づいた精神療法を標榜しているところは比較的少ないでしょう。特定の理論に基づいた精神療法とは,精神分析(療法),認知行動療法,森田療法,最近ではマインドフルネスなどがありますが,ほかにも多くの方法や流派があります。こうした技法は,標準的なスタイル(時間,回数,話の進め方等)というものがあり,どちらかといえば対象を限定した特異的介入方法と言えるものです。その治療法に関する特定の研修を受ける必要があること,1回の面接に通常一時間くらいを要することなどが,一般的な保険診療場面では採用しにくい事情となっています。

 しかし,特別に「精神療法を行っています」という触れ込みがなくても,医療者が,患者さんの症状や疾患を名づけ(≒臨床診断し),その成り立ちを解説し,そこから回復する方法を患者さんとの対話を通じてともに考え,編み出していくという治療の進め方は広く行われています。そうした方法は,丁寧に常識的に行えば,「心理教育的アプローチ」と呼びうる精神療法の一型となります。
今回は,精神科治療のみならず,身体疾患に随伴する精神科的問題に関わる際にも適用できる「心理教育」について概説したいと思います。

少し長い記事になりますので,最初に要約しておきます。

心理教育とは
概 説 患者さんとその家族に対して,疾患に関する学術的コンセンサスの得られた知識(エビデンス)を提供することを通じて,治療共同体の確立と強化,病への対処技術の向上などを目的とする,心理療法的配慮に裏付けられた教育的接近を総称する。
対象疾患 統合失調症,気分障害,不安障害,アルコール依存症,PTSDなどの精神科疾患のみならず,糖尿病や自己免疫疾患などの慢性身体疾患,白血病や乳がんなどの腫瘍性疾患などに対しても拡張適用されている。
インフォームド・コンセント(IC)と心理教育 ICとは,医療者側からの一方的な情報提供ではなく,患者と医療者の質疑応答を通じた双方向的なコミュニケーション・プロセスである。「これまでにわかっていること」を明示することから出発し,「わからない将来」を予測し,病に対する最善の対処(治療法)を患者自身が選択するための枠組みを提供するという点で,ICと心理教育的接近とは共通の目的と方法論をもつ。

2.身体疾患の治療現場における心理教育的接近の実際

理解の助けとするために,筆者の創作事例をひとつあげてみます。

[Aさん 61歳]

61歳の大酒家の男性Aさんが,早期胃がんの手術のために,ある総合病院の外科病棟に入院してきました。

入院時からAさんは,どことなく投げやりな態度を見せていましたが,入院当初の外科主治医の説明には家族ともどもよい理解を示したように見えました。主治医は,内視鏡生検所見ではまず早期胃がんに違いないが,正確な進行度は術後の組織検査の結果が出た後もう一度伝えたいと説明しました。

胃部分摘出術は予定通り行われ,結果も上々でした。しかし2日後の夜更け,Aさんはベッドから起き出し,点滴やドレーンを引きずり,大声で何かを口走りながら病棟をうろついたのです。
その病院には精神科が併設されていたので,精神科当直医が依頼されて,診察に出向きました。Aさん本人とは十分な意思疎通ができませんでしたが,入院までの精神科既往歴はなく,見当識の障害が明らかであり,あらぬことを口走る様態から,「せん妄状態」と診断し,精神安定剤の点滴静注を実施しました。
それでもAさんの激しい動きは止まらず,結局その一夜で,通常使用する量の2倍ほどの精神安定剤の非経口投与が必要でした。
数時間後には家族も到着し,個室に移されて危険のないように身体拘束された患者さんに,不安げな表情で「お父さんしっかりして」と繰り返し呼びかけていました。鎮静処置を行ないつつ,精神科の当直医は外科主治医に飲酒歴の詳細を尋ねましたが,正確には把握されておらず,その場で家族に尋ねることになりました。
Aさんは30代後半のリストラ転職を契機として酒量が増え,昨年60歳で定年を迎えた後は,再就職先を早々に辞職し,昼間から飲むようになってしまったと妻は説明しました。同伴した長女は,「お母さん苦労させられっぱなしだったよね。」「でもお父さん,お酒でとうとう気が違っちゃたのかしら。でも……自業自得よ。」などと呟きました。

精神科当直医は,翌朝まで病棟でAさんの様子を見ながら,臨床検査所見や病歴を参照し,家族から聴取した情報を考え合わせて,次のようにまずは外科主治医に解説しました。
「アルコール離脱に関連するせん妄の可能性が高く,数日間は鎮静的薬物投与が必要でしょうが,その後は比較的速やかに収まるのではないかと思います。その間は見守りを厚くして,最小限の身体拘束で乗り切りたいと考えますが,いかがでしょうか。」
その後で,主治医も同席の上で,家族に対して―
「長年大量飲酒を続けていると,急に断酒したときに,意識の混濁と合併した興奮状態(せん妄状態)が生じやすいことが知られています。初老期に入ったAさんの年齢と,手術というストレスも関係しているかもしれません。錯乱したように見えますが,言ってみれば『夢うつつ』の状態であり,おそらく数日すれば少しずつ治まってくるでしょう。脳の故障ではありますが,一過性に回復する可能性が高く,精神病になったわけではありません。でもその間だけは,転倒などの危険を防止し,折角巧くいった手術の成果が台無しにならないように,鎮静剤の点滴や最小限の身体拘束に同意していただけますか。」
などと説明しました。

この後家族からは,術後の経過に悪い影響はないか,退院後にもこのようなことが起こるのか,これは認知症の始まりではないかなどと質問が重なりました。こうした強い不安を基礎にした質問に外科主治医とともに応えながら,患者さんの飲酒問題に長いこと悩みながら手を打てないできた家族の焦りや葛藤状況が明らかとなり,その後の往診では,本人と家族に,退院後「アルコール依存症」治療を受けることを推奨し,そのための情報提供が行なわれました。

3.治療としての「説明」,「教育」

心理教育とは,当初は統合失調症患者さんの再発予防を目的として開発されたものです。それは,患者さん本人には,治療(とくに薬物療法)継続の動機を高め,家族へはその支持機能あるいは治療機能を引き出すべく計画された教育的接近を総称したものでした。

「心理教育」という言葉は,米国の家族療法家キャロル・M・アンダーソンら(1986)によって,「心理教育的家族療法」として提出されました。彼らによれば,心理教育のプログラムの基本構造は,1)知識・情報の共有,2)日常的ストレスへの対処技能の増大,3)心理的・社会的支援から構成されています。

つまり,この方法は,「教育的部分」と「対処技能の修得」の二つの焦点を有しているわけです。このような治療方法が成立した背景には,主に統合失調症の診療において,家族を病因的なものとみなす視点から再発予防のための重要な治療的リソース(協力者)としてエンパワーすべき対象と考える視点への変遷がありました。

さらに,精神医学・医療における臨床経験の集積や諸研究の成果により,精神疾患に関する一定の普遍的知識を「教育」のリソースとして利用できるようになったという歴史的転回が存在します。

心理教育の対象となる患者さんは,統合失調症,躁うつ病(双極性障害),うつ病,パニック障害,アルコール依存症,摂食障害等々,固有の精神疾患の患者さんに広く用いられるだけでなく,糖尿病,自己免疫疾患,脳血管障害に起因する種々の合併症や後遺障害のような「継続した/慢性の身体的問題」を抱える人々へも拡張適用されています。

まず誰に教育(説明)したらよいか

Aさんの事例は,実際のケースを単純化したものではありますが,問題の生じた夜に,情報不十分なまま精神科当直医が行なったように,心理教育的接近にはまず,「教育部分」があります。患者さん-医療者関係の中で,医療者側がイニシアティブを取ることになります。

疾患を限定して計画的に心理教育を実施する場合には,しばしばテキストや視聴覚機材を活用して「一般的に言えば/現在分かっている知見からすれば,あなたの病気/症状はかくなるもの」との情報を提供します。より正確に言えば,「私たち医療者は,あなた(患者さんまたはその家族)の抱えている病気の症状やその結果生じている苦痛を現時点ではこのように捉えています」という一種の態度表明を行なうことから開始されるものです。
ここでは,発病(発症)要因と結果(症状)の因果関係について断定的にではなく,治療方針を立てる/当事者と共有するための当面の仮説的理解を示しているわけです。少々持って回った言い方になりますが,心理教育においては,「教育」が本来持っている相互性・対話性を保つことが重要です。
すなわち,情報提供(教育)できる知識は,一般的・最大公約数的なものであり,あなた個人には当てはまらない部分もあると思うので,それをこちらに詳しく教えて欲しい,との対話を促すメッセージが含まれることが肝要です。

外科や内科等身体診療科の診療場面でもこの間の事情は同様です。誰が何に困っているかを再確認し,今困っている人に対する介入を優先させる方が効率的なのです。Aさんの例のように,それはしばしば身体科の主治医や看護者であり,おとなしく治療を受けてくれない(ように見える)患者さんを持った家族だというわけです。

さらに,心理教育の意図を考慮すれば,知られている医学的情報をそのまま伝達するだけでは不十分です。治療拒否につながることもある患者さんの精神症状あるいは心の痛みを改善し,患者さんや家族の不安を緩和するために,最初に伝えるべきことは何か,納得してもらうべき中心人物は誰かということを考慮しなければなりません。

かつて,医師が患者さんやその家族に対して病状説明することを「ムンテラ」と呼んでいたことがあります。ムンテラとは,「ムント・テラピィ(Mund Therapie)」の略です。ムント(口)で行うテラピィ(治療)という意味の和製独語です。筆者の研修医時代には,尊敬できる先輩医師から「患者さんが安心できるような説明を丁寧に行うことだ」と教えられたものでした。しかしその後の実務経験の中で,「患者さんの治療がうまくいかなかったときに訴訟問題などを招いてはたいへんだから,予め最悪の結果についてもきちんと(むしろそちらを強調して)説明しておくことだ」などと,いささか医療者側の保身的な意味合いを込めて使われることも少なくなかったように記憶しています。

身体科医療であろうと精神科医療であろうと,人の心身に起こっていることの全ての原因や今後の推移が明確に判明しているなどということはありえません。病状・病態説明に一定の「幅」が生じることは避けられないのです。よい情報を先に伝えるか,悪い情報から伝えるかによってすら,患者さんの心理反応と共に理解度は大きく変化するものです。

つまり同じ情報を伝達(教育)するにしても,説明の仕方によっては患者さんが不安を増強させ,患者さん-医療者関係をこじれさせる可能性についても考慮しなければなりません。その人の理解の程度や反応を仔細に観察しながら,伝えるべき情報を何層にも切り分けて伝えていくことが,心理教育における「教育」部分には必須と言えるでしょう。

4.対処方法の教育と検討

引き続いて,「対処」の仕方を検討・訓練する段階に入ります。実際上は「教育(説明)」と「対処訓練」は楔のように相互に絡み合って実施されます。
統合失調症で言えば,薬物の副作用が出たときの対処,症状(病的体験)が強まったときの対処,周囲への相談の仕方から,低下した社会的能力に対するSST(ソーシャル・スキルス・トレーニング)的なかかわりとの関連性も生じる領域です。
この段階では,複数参加者の教育においては,「困った場面」を具体的に提示する思考訓練を通じて,個々の参加者独自の対処法を開陳し共有するという集団療法的側面が付加されることが多いと言えます。
身体治療の場,とくに入院中の患者さんに対しては,スタッフの対処法を指導しつつともに検討することが中心となります。この際,精神科病棟における治療で求められる以上に,可能な限り「先手必勝態勢」を構築しておくことが重要です。とくに,せん妄状態や無断離棟などが生じうるケースでは,薬物療法による鎮静手段の有効性の射程を明確にしておき,家族への説明を徹底して理解を深めてもらい,可能であれば家族の付き添いを予めセッティングしておいてもらうこと等も考慮すべき点です。
複数の患者さんや家族を対象とした計画的心理教育プログラムでは,自由討論など参加者間の相互交流の時間を用意することも多いようですが,身体治療場面では単家族が対象となることが普通です。

5.おわりに

現在深刻な悩み事や葛藤にさいなまれている人は,一刻も早くその心の重荷から逃れたいと思うのが当然です。けれども人の心の動きは複雑な要因に左右されています。当事者である患者さん自身,どうしてこのような苦境に陥ってしまったのか自覚し説明することが難しいことは多いのです。そうした一種の混乱を整理して,患者さんの自己理解を深めるための精神医学的情報(図式)を提供し,自己対処可能な方策をともに考えることが「心理教育」の骨格です。これはおそらく,特別な流儀をもたない常識的精神(心理)療法-医療者の基本姿勢-と言ってもよいでしょう。