2025.1.1
[2025/1/1 狭山市]
年が明けました。
近くの川沿いにある小さな公園から初日の出を眺める子どもたちがいました。
世界のあちこちで戦争が続き,自分の国が(会社が,組織が,仲間が,家が,自分自身が)一番豊かであれと憚りなく公言する声があらゆるメディアから伝わってきます。
子どもたちの背中を眺めていて,これから先彼らが背負うもの,立ち向かわねばならないことを想像し,自身の残された時間のうちでその荷を少しでも担ぎやすいものにするどんな手伝いができるのだろうかと ― 新春の清々しい空気の中で,しかし心を満たしたのはいささか重苦しい気分です。けれども,その重い気分を切り披くように浮かんできたのは,宮澤賢治の有名な詩でした。
雨ニモマケズ
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ[#]負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
[#「朿ヲ」はママ,改行は筆者]
[宮澤賢治 所収 青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/45630_23908.html )]
人生後半,24歳頃から37歳の早逝までの十余年を結核症と闘病しながら,賢治は多くの創作を遺しました。その中で最も有名なこの詩は,肺結核が悪化し,死を覚悟した1930年11月に手帳に書きつけられたものです。この詩の成り立ちには,作者自身の裕福な出自と郷土の農民の貧しい境遇との明暗が生んだ贖罪の意識や,その宗教的立場(法華経信仰)が大いに関係しているのでしょうが,その背景がどうであれ,人々がこの詩の中の一節だけでも満たすことができれば,この世界も大きく変わるのに,と思うばかりです。
みなさんの/世界中の子どもたちの/この一年に,何か一ついいことがありますように。