2023.3.4
[2025年2月26日]
3月は、少し歩くと汗ばむほどの陽気の日が来たかと思うと、霙や雪が舞い散る寒い日がぶり返したり、自律神経のバランスが乱れがちな季節の変わり目です。先回映画を一つ紹介しましたが、何人かの読者から、DVDを借りて見ました、次もお願いします、と予想以上の反響がありました。それで、今回も一つ映画評をお届けします。30年も前の作品ですが、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の示す複雑な症候とそこからの回復を、リアルかつドラマチックに描いています。以下はもちろんネタバレバレの記述ですが、ネットのAmazonや楽天ショップを覗くと,中古DVDなら廉価で入手可能なようです。
少し長いので、3回に分けて掲載します。
原題または英題 邦訳 監督 原作および脚本: |
Fearless フィアレス -恐怖の向こう側- ピーター・ウィアー ラファエル・イグレシアス |
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主要な俳優 ジェフ・ブリッジス イザベラ・ロッセリーニ ロージー・ペレス |
マックス・クライン;建築家飛行機事故被災者 ローラ・クライン;マックスの妻 カーラ・ロドリゴ;マックスと同じ飛行機に乗り合わせ、赤ちゃんを失った母 |
1993年製作/アメリカ 配給:ワーナー・ブラザーズ 劇場公開日:1994年6月25日 |
マックスが自ら車を壁に激突させ入院した後、妻ローラが彼の仕事机で見つけたおびただしい不可解なスケッチ。どの絵にもその中心には「穴」があった。それは穴のようだが、光の塊、太陽のようにも見える。暗黒の世界からの脱出口となる輝くホール?
ローラはこれらのスケッチを目の当たりにして初めて、自分の夫が投げ出された世界が想像を超える深い暗闇に支配され、異質性に満ちたものであることを感知した。同じ図柄のたくさんの抽象的な絵は、マックスが体験したことを誰かに伝えたい強い衝迫を表している。しかし同時に、淡彩極彩入り乱れた多くの画からは、描く度に「こうじゃない、こうでもない」と一人呟くマックスの苛立ちと深い嘆息が浮かび上がってくるようである。
フィアレス―恐れ知らず―という表題は、深刻な心的外傷(トラウマ)の本質の一端を見事に表現している。経験したことのない恐ろしい体験にさらされたら、人は恐怖と孤立感に襲われ、震撼し、そして自分がいかに無力であるかを思い知らされ、ついには絶望する。一般的には、そのように考える人が多いのではないだろうか。しかし「幸運にも」生き残ったとき、私たちは「普通」でなくなってしまう。それまでの自分というものが予想もしない奇妙なかたちに変質してしまう。恐れるべきときに恐れ、悲しむべきときに悲しむことができなくなる。
そう、怯え、おののくことが「普通」なのだ。この映画は、恐れることができなくなった人間が、ふたたび恐れと孤独を感じ直し、かつて生きていた世界とのつながりを取り戻そうとした物語である。
米国精神医学会(American Psychiatric Association;APA)が策定したDSM-IV-TR(Diagnostic and Statistical Manual of Mental disorders,4th ed. Text Revision;2000年)の心的外傷後ストレス障害(Posttraumatic Stress Disorder;PTSD)基準の骨子は次の通りである。
すなわち、A項;外傷体験の存在を前提として、B項;外傷の再体験症候、C項;外傷関連の刺激の回避あるいは全般的反応麻痺、D項;過覚醒状態の3種の症候群から成り、E項で症状の持続期間や重度要件を規定している。
B項は、外傷体験の記憶がとくに視覚的イメージや身体感覚を伴って生々しく追体験される症候であり、「侵入性症状」とも通称されている。睡眠障害、易刺激性(いらいらしやすさ)や過度の警戒心/驚愕反応を含むD項とあわせて、「思い出したくもないつらい記憶が否応なく蘇り、いつもぴりぴり過敏な状態」を表している。一方C項は、外傷体験を想起させるような諸々の刺激を自覚的・非自覚的に回避する(地下鉄事故に遭った人が電車や地下街に近寄らない/立ち入れないなど)ことや、外傷体験の想起困難(解離性健忘)のみならず、それまで関心のあった諸活動(クラブ活動や趣味のスポーツなど)へ無関心になったり、感情の動きが狭小化するなど広範囲の精神活動の鈍化を表し、世界観や人生観の変質にも及びうることが記述されている。
すなわち、PTSDとは、外傷体験の過剰な想起と想起困難、精神的過敏性と活動性鈍化という相反した症候群の複合であり、性格上の問題と見紛うような社会との関係性の変質をきたしうる病態であると要約される。
マックスの発言や行動には、上記の診断基準に該当する症候が、これでもかというくらいにちりばめられている。全篇に通底しているのは解離症状と再体験症状(あるいは外傷の再演)である。
冒頭のシーン、乳児を抱えてトウモロコシ畑を歩いていくマックスの表情の乏しさは感情麻痺(numbing)そのものである。後の回想の中で、激しく揺れる機中を微笑さえ浮かべて平然と席を移動する様子は、周トラウマ期解離(peri-traumatic dissociation)と呼ばれる症候が生じているゆえであろう。この外傷只中の解離症状は体験途上の本人の苦痛を軽減するが、後にPTSDを発症させやすい条件の一つといわれている。
また、航空会社と賠償交渉を有利にすすめるための証言を集めようと躍起になる弁護士に対して、「嘘はつきたくない」と頑固に主張するのはマックスの元来の人柄から了解できる部分もあるが、同じ事故機に乗り死に別れることになった同僚ジェフの妻の心情に共感し損なって自説を曲げないあり方は、感情麻痺の一型といえるかもしれない。表題の「フィアレス」とはまさに感情の解離の結果であると考えざるを得ないだろう。
しかしことはそう単純ではない。ひっきりなしに車が往来する道路を平然と(のように見える)横切ったり、弁護士と口論の後屋上に駆け上り、ビルの突端に立って目が眩むような何十メートルも下の道路を見下ろしながら飛び跳ねてみたりするマックスの無謀な行動は、解離症状のために恐怖感を失ったがためだけに生じた行動であろうか。
以前のマックスは飛行機嫌いの高所恐怖症者でもあった。映像では、マックスが苦悩し(ここまでのところ彼の苦悩の本質は明らかにされていないが)、逡巡し、しかしあえて(何かを決意したかのように)ビルの縁に上ったように見える。誰にも言わないがマックスは、単に解離症状に浸透されていただけではなく、襲い来る恐怖心を何とかして鎮め、克服しようとしていたにちがいない。「大丈夫、こわくなんかない、ほら、カミサマだって僕のことを殺せやしないんだ。マックス、おまえは大した勇者だ」そんなふうにマックスは自分に繰り返し言い聞かせ、湧き上がる恐怖心をコントロールしようと試みていたのではないだろうか。傷ついた状況をもう一度「やり直す」ようなマックスの振る舞いは、能動的な再体験(再演)を通じて自己制御感を取り戻そうとしているかに見える。外傷体験による解離症状の力を借りて、マックスはこのような無謀な行動を次々と成し遂げ、奇妙な平静を克ち得るのである。
しかし、それでマックスが癒されたわけではない。