ふじみクリニック

深刻な心的外傷体験はなかなか言葉にできない(2)― 飛行機事故サバイバーのケースから ―

2023.3.4


[2025年3月3日]

3「再体験」とトラウマからの離脱について

マックスは真に恐怖を克服したのだろうか。

航空会社に雇われた精神科医の依頼を契機として、マックスは同じ事故で幼子を亡くしたカーラと再会する。仲介した精神科医や双方のパートナーの意向に頓着なく、二人は二人にしかわからない痛みを分かち合いつつ、閉鎖的な関係に陥っていく。カーラと会った後マックスは妻ローラに「彼女に愛を感じる」と吐露し、ローラを動揺させる。しかしマックスの言った「愛」とはどのようなものであろうか。同情や共感と同様の感情なのであろうか。

物語の進行にしたがい、マックスの回想は徐々に細部におよび、断片的な映像がつなぎ合わさってゆく(物語が再構築される)。それとともに、事故当時の機内の状況(もちろんマックスの視点からの)が観客の目にも明らかとなってゆく。

乱気流に巻き込まれ大きく動揺し、悲鳴が飛び交う機内で、マックスは同僚のジェフ(ジョン・デ・ランシー)の隣の自席から立ち上がり、身体を震わせていた単身搭乗の少年の方に歩き始める。ジェフは立ち上がろうとするマックスの手を思わず握り締める。マックスは言う。「君は大丈夫だ。でもあの子は一人だ。だから僕が行かなきゃ。みんなきっと大丈夫さ。」

マックスはそう言い残して、席を立つ。二人の手がほどかれた瞬間、ジェフは何とも言いようのない頼りなさそうな表情を見せる。マックスは大きく揺れる機内を一歩ずつ進み、乗客の一人一人に微笑みながら声をかけ、少年の隣の席に腰を埋める。怯える少年にも「きっと大丈夫、すぐに楽になる。さあ、頭を下ろして、目を閉じて。」と伝える。地面だ!と乗客の一人が叫んだ直後、機体は接地して激しく揺れ、機内は荷物が飛び交いクラッシュする。

引き裂かれる機体、燃え上がる炎。

そして、皮肉なことに、席を移ったマックスは助かり、ジェフは死ぬ。

このシーンが終幕になってようやく回想されるのは、マックスにとって最もつらい記憶だったからであろう。マックスは、図らずも生き残ってしまった。犠牲となった多くの他の乗客に対してもそうであろうが、ジェフに対する格別の罪責感(サバイバーズ・ギルト)をマックスは背負わざるを得なくなったのである。

こうしてみると、マックスが妻や息子との関係を含め、全てを引き換えにしてもカーラを何とかして救いたいと願ったのは、単なる同情のためだけではない。カーラの救済は、自分と同じ立場にいて同様に苛酷な罪の意識に苛まれている人間をすくいあげることであり、それは自己救済の意味を有していたのである。

ジェフは死んだ。自分が手を離した後に。カーラの子どもも死んだ。自分が負ったのはわき腹のかすり傷一つだった。どうして自分は死ななかったのだろうか。自分には、妻や家族に大切にされる資格、生き残った幸運を味わう資格などない。

マックスに一つも罪はないはずだが、事の結果をどうしようもできないこと(無力感)が罪の意識を強めているように見える。彼の行動を英雄視する報道は、なおさらマックスの罪責感をかきたてる。妻ローラの制止を振り切って、マックスはカーラをダウンタウンのショッピング街に誘い、亡くなった子どものためにプレゼントを買わせる。自分の亡き父親へのプレゼントとあわせて。これは喪の作業の一環とも理解され、より健全な行為の範疇に入るだろう。しかしショッピングの帰路の車中でカーラは再び顔を曇らせ、泣き出す。飛行機が着地寸前のあのとき、わずかに油断して子どもを抱き締める腕の力を弱めた瞬間、強い衝撃に襲われ、そのために子どもが吹き飛ばされてしまったことを誰にも言えなかったとマックスに告白した。敬虔なクリスチャンであるカーラは、慟哭し、うち震え、聖書の一節を呪文のように繰り返す。

こんなはずではなかった。カーラは子どもの死を受け入れ、自分と二人だけの新たな旅に出るはずだったのに。マックスは路肩に車を停め、天を仰ぐ。

次の瞬間、マックスの脳裡に閃くものがあった。マックスは泣き叫ぶカーラを車の後席に移し、先刻亡父のために買った道具箱を抱きかかえさせる。

― いいかいカーラ、この箱を君の息子だと思って、絶対に離すんじゃない

マックスはカーラの座席ベルトをきっちりと締めながらそう言って、ハンドルを握り、アクセルを踏む。ぐんぐんとスピードを増すボルボ(スウェーデン製の安全な車とマックスは説明していたのでたぶん)。そして猛スピードのまま二人の車は袋小路につっこんでいき、そのまま厚いコンクリートの壁に激突する。マックスは激突の瞬間まで「子どもを離すな」とカーラに叫び続ける。

車は大破し、二人は意識を失う。カメラは、砕けたコンクリートと水蒸気をあげる車のボンネットのあいだに転がっている道具箱を映し出す。

軽傷で済んだカーラは、自らローラに会いにゆく。今回はマックスの思惑通り、カーラはあのような状況では誰だって子どもを抱きかかえ続けることはできなかったということを悟り、ようやく子どもの死を受け入れられそうだとマックスの妻に伝えるために。マックスの振る舞いがその家族を苦しめているだろうことを、カーラはよく知っていたのだ。そして次にカーラはあちこち骨折して入院中のマックスを再訪し、感謝の気持ちとともに別れを告げる。

仲間は救われた。しかしこれから自分はどうしたらよいのか。

目標を見失い、空虚感と先の見えぬ不安を抱えて退院日を迎え、病院のドアを通り過ぎたとき、そこにはローラが待っていた。このときのローラは、冒頭でふれたようにマックスの不可解な「穴の連作スケッチ」を見て(感じて)おり、カーラの心の彷徨を聞かされた後でもあり、おそらく、マックスの悲しみと罪責感と絶望とをおぼろげながら理解し、すべてを受容可能な受け皿となっているようだ。

自宅に帰り、マックスはやっと自分が抱きしめられる側に立つしかないことを自覚する。「ぼくを救ってくれ」かすれた声でマックスは妻に言う。マックスは自分の弱さをようやく認めることができたのだ。

やれやれ。

妻ローラとの心の交流が再開した瞬間、マックスの心だけでなくその身体も事故前の状態に回帰した。事故後不思議に治ってしまっていた「イチゴアレルギー」が再発し、呼吸困難に陥ったマックスに対してローラが懸命に人工呼吸を施し―そして救われる。

マックスは3度返り咲いたのである。