ふじみクリニック

自己愛と自尊心

2025.6.30


[2025年6月26日]

6月だというのに、猛暑の季節が顔をのぞかせています。「地球温暖化」の抑止策や人間による環境破壊を最小限にする「SDGs」をナンセンスだと無根拠に主張する大国の政治家もいないわけではありません。しかしこの季節、わたしたちが経験しているゲリラ豪雨や深刻な水不足をきたす空梅雨、そして体温を超えるような酷暑日の増加などは、もはや例外的な「異常気象」によるものではなく、進行性の人為的な結果だということをしっかり認識する必要があると思います。さて、5月のコラム記事では、おなじみの老人二人からふたたびいくつかの質問をうかがっておりましたが、今月もその続きの話が続いています。

白髪老人
(以下「白」)
先月ADさんから「自己愛パーソナリティ」について説明してもらったけどさ、「自己愛」ってのはさ、「自尊心」とはどう違うんだろう。
つるりん老人
(以下「つる」)
「自己愛」っていうと、「障害」とかつかなくても、なんか「自惚れ屋さん」とか、「威張っている」とか、あんまり芳しくない響きがある。「自尊心」の方はと言うと、おれたちの心にちゃんと存在しないといけないもののように聞こえる。
この前ADさんは「健康な自己愛」って言ってたけど、そもそも自分のことが好きとか嫌いとかってどういうことだろう。
つる まあ、何かに失敗したときとか、失恋したときなんかは、自分が惨めで情けない存在に思えてしまうってことは珍しくもないだろうけど。一方「自分が好き」とはなかなか思いにくいし、人前で言える言葉じゃないね。あれ、こういう感覚はもしかしたら昭和前半世代の特徴なのかな。
たしかに、平成生まれの若い人たちは、何か不都合や失敗があっても「それがどうした」、「相手が悪い」みたいに開き直る人も増えているみたい。おっと、これも旧世代の偏見だろうね(そうあってほしいね)。その反対に、何か挫折を体験したときに限らずいつも自分をきらいだという、言ってみれば自己を全否定するような人も増えているかも。
ところで「自己肯定感」とか「自己評価」という言い方もあるよね。
つる またADさんに教えを請うとしようかね。
それが便利だね。
APさん登場
AD はい、お呼びですか。
今回もまたまたスピーディだね。
AD はい、いつも雲の上からお二人の様子を眺めさせてもらっていますから。
ただ、今回は狭義の精神医学というより、臨床心理学、あるいは哲学や倫理学の領域にも関連する話なので、この方面に詳しい私の友人のAPさんにも来てもらいました。
つる APさんって・・・
さしずめエア・サイコロジストさん、かな。
AP 初めまして。その通り、エア・サイコロジストとお見知りおきください。ADさんとは長い付き合いです。お二人の対話は、これまでもADさんから興味深く聞かせてもらっていました。お二人とも豊富な人生経験の持ち主で、ご自身の頭で物事をしっかり考える素敵な人たちだなあといつも感じ入っていました。
つる やめてよ、褒めても何にも出ないよ。
そうそう、こっちがいろいろ聴かせてもらいたいんだから。
自己評価、自尊心、自己愛、プライド
AD まずは言葉の使い方からでしょうか。
AP はい。たしかに、自己評価、自尊心、自己愛、自己肯定感などといろいろな言葉が使われています。お二人とADさんの対話の中で触れられているように、いずれも「自分が自分の存在に関して、どう捉え、理解し、どう感じているか」という点では同じような意味の言葉として使ってよいと思います。「プライド」という言葉も日本語のように使われていますね。
何か議論するときには、それぞれに「健康な/病的な」とか、「ほどほどの/過大な/過小な」とか、「現実的な/幻想的な」とかの形容詞を付して説明することになります。
今日はわりと中立的で説明的な「自己評価」という言葉を主に使いたいと思いますが、文脈によっては他の用語を交えてお話しするかもしれません。
「自己評価」ですか。そういえば、勤めていた会社の定年間際のころに、毎年人事部から、「自己評価書」と題する書類がメールで送付されるようになっていたな。「昨期の自己目標の達成度」、「来期の自己目標」なんかを記入して提出し、今後はそれをもとに上司と面談するシステムを始めるとか聞いたことがあるなあ。そんなのが始まる前に無事退職にこぎつけたけれど。
つる おれのとこは退職の2年くらい前からそういうのあったな。上昇志向の強い若い社員なんか、暗黙の圧力を感じたのか、無理じゃないかと思われる程の-例えば「営業成績倍増」なんていう-高すぎる「自己目標」を掲げちゃって、次の年の上司面談の前に青息吐息で頑張っていたようなシーンも見かけたよ。
AP そうですか。それは「成果主義」という方法ですね。
自己目標未達成ならボーナス低くても仕方がないと思わせる操作的態度に近いですね。ここでお話しする「自己評価」とは別物です。
AD

私も少し参加させてもらいましょうか。学生時代のノートを参照すると、細かいことはともかく、こうした用語はそれぞれ次のように説明されていました。

  1. 自己評価:「~する」と動詞で使うと、自分の能力や行動を自己分析すること。名詞的に使うと自己評価の結果。常識的な他者あるいは客観的基準から見た際に、その人の自己評価の結果が「高すぎる」、「低すぎる」などの相違が生じることがある。自己評価と他者(客観)評価のずれが大きい場合には,その人の主観的苦悩や集団適応困難の要因になる。
  2. 自尊心:適切な、あるいは肯定的な自己評価。自尊心が低いと対人関係の場で卑屈になったり、そもそも対人関係の場を避けるようになって社会的引きこもり傾向が強まったりすることもある。
  3. 自己愛:自分を大切にし、愛する感情。他者から「自己愛的な人」と言われる場合は「自己愛が強すぎる/高すぎる人」といった意味合いがくみ取れることが多い。
  4. プライド:この語を翻訳した「誇り」という日本語の持つ意味合いと比べて、原語(pride)には、より肯定的/自己愛的なニュアンスがある。「誇り高い男」という日本語の言い回しと、それを翻訳した「proud man」という言い回しを比較すると、前者では「その人の気高さや気風(きっぷ)のよさ」が強調される反面、後者ではしばしば「得意気/自惚れ/傲慢」というネガティブな意味合いが含まれる。
そういえば、「高慢と偏見」とかいう有名な小説があったな。読んでいないけど。
AD ジェイン・オースチンの「高慢と偏見」ですね。18世紀末から19世紀初頭のイギリスの片田舎を舞台として、その時代同地に行きわたっていた家族制度や女性の結婚事情と、誤解と偏見から起こる恋のすれ違いを描いた恋愛小説です。
原題は「Pride and Prejudice」ですから、「プライド」の嫌な方の意味合いがよくわかります。
つる まあそういう教養には、おれついていけないから。それより「現実的な自己評価」とか、「適切な自尊心/自己愛」とか、どんなふうにできあがるものなのか教えてくれよ。
「適切な自己評価」の形成プロセス(ボウルビィを参照して)
AD 適切な自己評価/ほどよい自尊心/健康な自己愛とは、一人きりでは生きてゆけない私たちが社会生活を送る土台になるものです。生まれたときから成人後に至るまで、さまざまな経験や関係性を通して、それは少しずつ形成されていくものです。適切な自己評価が育まれる過程は概略以下のようにまとめられます。

1.安全基地となる養育環境の存在が前提となる
家庭や学校などで、自分が愛されている・認められていると感じる経験が出発点になります。無条件に「存在していい」、「失敗しても自分の価値は変わらない」と感じられることが重要です。この「安全基地」とは、イギリスの発達心理学者であるボウルビィ(John Bowlby:1907~1990)の提唱した言葉です。ボウルビィは、乳幼児が特定の養育者(主に母親)との間に形成される情緒的な絆を「愛着」と呼びました。この理論は、以下のような概念を核としています。

  • 愛着行動:泣く、笑う、抱きつくなど、養育者の注意を引きつける行動。赤ちゃんの愛着行動に反応して、養育者の方も愛着(保護的養育)行動を強化していく。
  • 安全基地:子どもが「いつでも安心してそこに戻ることができる」養育者あるいは養育関係。それがあって初めて、子どもは親から距離を取って外の世界を探索できる。
  • 内的作業モデル:後の人間関係や自己認識の“ひな型”。乳幼児期の愛着関係の質と量に左右される。

2.肯定的なフィードバックと共感
親や教師、周囲の大人からの具体的で温かい承認(例:「よく頑張った。」、「ちゃんと言えたね。」、「あなたの考え、面白いよ!」・・・)。
同時に、養育者は子どもの持つ弱点や失敗体験についても共感的に関わり、その肯定的(将来に役立つ)側面についても学習できるよう接することが、適切な自己評価-自分を総体として受け入れられる力-に繋がります。

3.挑戦、失敗、成功体験の積み重ね
子どもの発達途上において、養育者はまず小さな目標を提示して、子ども自身が達成感を得られるように支援する努力が必要です。自力で何事かをやり遂げられたという経験が、「自分にはできる」という実感を育てます。ここでは、結果だけでなく、過程や努力そのものを評価することが重要です。失敗を乗り越えて新たな挑戦を繰り返すためにこそ、批難せずに受け止めてもらえる「安全基地」が不可欠なのです。

4.自分自身に対する現実的かつ総合的な理解
ある程度成長した人が、自己評価を適正に維持するためには、他者と比較して優劣を評価することに留まらず、自分自身の強み・弱みの総体を客観的に受け入れる力を身に着けることが大切です。自分を過小評価せず、かといって理想化しすぎず、出発点として「今はこれだけの(理想には遠い)自分でしかないが、それで悪くない/そこから出発してよいのだ」と思えるようになる支援が必要です。ここではよい友人や教師からの助言、書物や映画などを通じて得られる様々な人生の擬似体験なども役に立ちます。

5.他者との健全な相互的関係性
4項を円滑に進めるためには、尊重し合える人間関係が不可欠です。適切な自己評価/自尊心の成立と維持のためには、他者の力が不可欠なのです。「他人と違うことは悪いことではない/能力や好き嫌いが同じでなくてもいい」、「共にいることに価値がある」と感じられる体験が重要です。競争や比較評価よりも、共感しあえていると感じられる他者体験、つながりを感じられる場が必要です。

6. 内面の対話と適度な内省努力
自分の感情や思考と向き合い(客観視する努力を試み)、「自分は本当のところ、どう感じている?」という自問に答えようとする時間を持つこと。日記や対話、カウンセリングなどを通じて、自己理解を深めていくなどの方法があります。

つる なんか難しいような、当たり前のような・・・
AP 乳幼児の愛着形成と信頼感醸成の関係をごく簡単に図示すると以下のようになります。ここで挙げられた「信頼感」というのは、自己信頼≒適切な自己評価/自尊心と重なる心性です。

最初は両親などの養育者を信頼し-ひいては世界を信頼できるようになるということなんですね。
AP そうです。ここで強調したいのは、自他未分離な乳幼児(相互的な言語交流可能な世界に入る3歳未満くらいの子ども)にとって、「他者信頼」→「自分がそこに存在していいという実感」→(自他分離の発達段階を経て)「自己信頼感」≒自尊心という過程を辿るのがふつうだということです。「自己」より「他者」が先行するということです。
つる やっぱり養育初期って大事なんだね。
AP その通りですが、ある程度成長した後でも、不十分だった愛着関係や自己評価の再建を図ることは不可能ではありません。自身の欠損に気づいたときに、よい助言者や友人を探し当て、じっくりと自分自身を見直し、固定した視点や考え方を改訂して成長につなげることも可能です。
ただ、通常の医療現場で言えば、保険医療で成り立っている診療所や病院では、時間のかかる心理療法やカウンセリングを受けることはなかなか難しいかもしれません。
それでも、不安や抑うつなど精神症状のある人でしたら、薬物療法など当座の対症療法を行いながら、その人の抱える心理的課題を整理したり、他の適切な診療機関あるいは心理療法を標榜するオフィスに関する情報提供を受けたりすることはできるかもしれません。
なるほどね。まあまず自分で困っていること、変えたいと思っている自分自身の性格や考え方について整理してみるってことだろうかね。
つる う~ん、それじゃ、自分で “おれはこのくらいでいいや” って思えていればいいのかな。
AP 関係が長く続いていて信頼できる友人が何人かでもいて、仕事にせよ趣味にせよ、何らかの社会的活動を年余にわたり継続してきた人なら、概ねそれで悪くないと思います。
つる この図の真ん中にあるResponsiveness、Availabilityっていうのは?
AP お母さん(養育者)と赤ちゃんの関りは24時間365日ですよね。ある時刻になったら、「今日は営業終了」とはいかないところが親業の大変なところです。
成長と成熟
AD 先回ご質問をいただいた人間の「成熟とはなにか」について触れるところまではいきませんでした。次回以降の話題に取り上げたいと思います。
つる 人間の成熟ですか、これまた難しい話題だねえ。
おれはさ、今のところはさ、どんな人であれ出会った相手の立場や考え方がいくら自分と違っていても、とりあえず理解しようと試みることができるか否か、みたいなことをその人が大人であるかの基準にしてるかな。
同感だね。あえて付け加えれば、誰かの役に立つことを喜びと感じられることかな。時には自分の方が多少の「持ち出し」をしたとしても。
つる そうそう、白さんのいうとおりだけど、そもそも人間って、自分一人のためにだけ生きるって難しいんじゃないかな。
AD 内田樹さんの著書「ひとりでは 生きられないのも 芸のうち(文藝春秋,2008)」なども参考になります。
つる/白 おれたち、ホントの大人に「成熟」する前に神の世に行っちゃうかもしれないね。