2022.03.05
[SENSE ISLAND in Yokosuka, 2022]
「不安」と「うつ(ゆううつ)」は、私たちのこころを悩ませる2大症状といってよいでしょう。不安とはだれもが日常的に体験する感情です。心理学的には、「漠然とした未分化な恐れの感情」などと定義され、何が怖いのかと問われてもはっきりと答えられない対象の不明確さやあいまいさが「恐怖」と区別される点とされています。とは言っても、不安対象がある程度わかりやすい場合もあります。例えば、自分なりに精いっぱい勉強して、模擬試験で十分合格圏内にある大学の入試に臨んだとしても、当日風邪をひいて実力が出せなかったらどうしようとか、新型コロナのワクチンを3回きっちり受けたし、人混みには決して入らず、手洗い・マスクも欠かさず励行しているが、いつどこでどのように感染してしまうか気が気ではないなどといった心境にも、「不安」という言葉を用いることはあります。
不安とは未来志向的な心的状態であり、この点で過去志向的な「うつ的気分」と区別できます。明日の取引は成功するだろうかと懸念するビジネスマン、落第しまいかとびくびくする勉強嫌いの学生、あこがれの人に送ったラブ・レターの返事は来るだろうかとドキドキする青年・・・彼らはこれから先に起こるかもしれない(≒起こらないかもしれない)出来事が自分の望みと相反する結果になることを心配し、危惧しているわけです。大丈夫だよ、きっとうまくいくよと周囲がどんなに勇気づけても、不安は消えてなくなりはしない。
今「びくびく」とか「ドキドキ」とか書きましたが、不安には多少とも身体的変化が伴います。動悸、頻呼吸、胸苦しさ、発汗、瞳孔散大、呼吸促拍などの交感神経興奮状態や、落ち着きなくうろうろしてしまうなどの行動が随伴することが多いでしょう。
例示したように、私たちが不安をまったく感じないまま生活していきたいと請われても、それは無理な相談ですとお答えするしかありません。それでもほとんどの人は、不安と共存しながら日常を過ごしていくことができます。私たちは不安を抱えながら生きている。
けれども、不安感が大きく膨らんで、よくないことが起こる確率が非現実的なほど高いように実感されたり、不安に随伴する身体症状が自己対処できないほど強く表れてしまったりして、仕事や家事育児が滞ったり、あるいは職場や学校に行けなくなったりする場合には、「不安症」として治療が必要になります。つまり、正常の不安と病的な不安とは、神経症圏の病態においては、切れ目なく連続しているものなのです(注)。
[注:この事情は、「神経症」の場合にあてはまることで、「精神病」に伴う不安はやや違ったものです。本コラムの「精神病と神経症はどう違うのか(2021.9.28)」をご参照ください。]